主の十字架の前で

主よ、あなたの十字架の前に立ってあなたを眺めます。あなたは私のために私の想像も付かないような苦痛を耐え忍んでおられます。あなたは私の創造主、私を存在させて生かして、私の心臓の鼓動、肺の呼吸、足の一歩一歩、手の動き、見る目、話す言葉、心の思い、判断する力を絶えず支えておられます。そのことを私はずっと考えもしないで感謝もしませんでした。私が罪を犯す時でさえ私をすぐ罰しないで忍耐して回心の機会を与えて生かしておられます。今はそのあなたは私の罪のために十字架に架けられておられます。主よ、あなたは十字架の苦痛だけではなく、どれほど私の恩知らず、私の罪を耐え忍んでこられたことか。私を救おうと望んで今の私のことをもどれほど忍耐しておられることか。

 

「渇く」

主よ、あなたの喉が渇きました。でも与えられたのは酸いぶどう酒だけでした。

確かにあなたの喉が渇きましたが、それよりあなたを苦しめているのは心の飢え渇きです。愛する人は相手が自分の愛に気付いて自分を愛するようになることを求めるのは当然です。あなたは「焼き尽くす火」のような愛を持って私の愛を飢え渇いて非常に苦しんでおられます。何と不思議なことか、創造主はご自分が想像した人間に何かを求めるということが。ご自分が完全で、何ものをも欠くことのないあなたが、その存在を絶えず支えてあげなければ無に帰る人間に、しかもご自分の愛を受け入れなければ決して幸せにならない人間に、むしろご自分の方からその人間のところまでかがみ込んでご自分の愛を受け入れてご自分を愛するように求めておられます。今の私にも私があなたの十字架を見る度に「渇く」と訴えて私の愛を求めておられます。

 

「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」

主よ、あなたの苦しみにきりがありません。私たちの愛に飢え渇いているだけではなく、御父にも見捨てられました。でも、どうしてそんなことがあり得るでしょうか。御独り子であるあなた、御父と一つであるあなたは見捨てられることがあり得るでしょうか。むしろあなたの愛の極みではないでしょうか。私たちの罪を背負って、全く罪のないあなたはまるで罪そのものになったかのように、主なる神の愛から離れて自我に閉じこもっていることによってこの上ない苦しみのどん底に落ちている罪びとの苦しみを身に受けているではないでしょうか。

 

主よ、あなたの愛の偉大さに私の思いは及びもしません。私は沈黙してあなたの十字架の前に立ってあなたを眺めているばかりです。