主任司祭の動画メッセージ

受難の主日 2024年3月24日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 50章4~7節

第2朗読 フィリピ人への手紙 2章6~11節

受難の朗読 マルコによる福音書 15章1~39節

 

<お説教要約>

私たちは学校では世界史を学びました。でも学校で習うその世界史は表面的なものだけです。人間の様々な出来事、政治とか戦争とか経済とか文化とか…様々です。でも実際には特に聖書を通して世界史を見れば違うのです。もっと深い次元が見られます。というのは世界史の真髄は人類の"恩知らず"の歴史です。人類は自分の創造主に対して恩知らずの歴史を送ってきました。

 

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四旬節第5主日 2024年3月17日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 エレミア書 31章31~34節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 5章7~9節

福音朗読 ヨハネによる福音書 12章20~33節

 

<お説教要約>

四旬節の第5主日になって、もうすでに教会の典礼では、私たちの注目は主の受難と神秘に向けられています。そして、きょうの朗読のテーマとしては、「従順」だと思います。特に、キリストの従順。第二朗読では、キリストについて、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ」た。それは、やはり、ゲツセマネの園での祈りを思い起こします。

 

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四旬節第4主日 2024年3月10日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 歴代誌下 36章14~16, 19~23節

第2朗読 エフェソの信徒への手紙 2章4~10節

福音朗読 ヨハネによる福音書 3章14~21節

 

 

<お説教要約>

今日は四旬節第4主日で、教会の中で喜びの日です。私たちが記念する救いの神秘、主の受難、死と復活の祝いが近づいています。四旬節の歩みはもう半分を過ぎました。それに伴って今日の大きなテーマは神の愛です。

 

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四旬節第3主日 2024年3月3日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 出エジプト記 20章1~17節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 1章22~25節

福音朗読 ヨハネによる福音書 2章13~25節

 

 

<お説教要約>

今日は四旬節第3主日です。ここで私が感じるテーマは「主なる神の熱情」、第1朗読では主なる神は熱情の神であると、特に偶像崇拝を禁じるところで言われています。ここで言う熱情は妬みとも訳されるそうですが、その言わんとするところは人間的な解釈とはちょっと違って、主なる神は人間の心がご自分から離れないように、離れることを許さない、そういう熱情を持っているということです。それは偶像崇拝に走ることも含めています。特にもう一つの側面は、主なる神が大切にする人は離れないでほしいというのと同時に、ご自分を離れる人間はダメになるということもご存じです。聖書の経験を通して分かったことは後で出てくる言葉のように、偶像は虚しいものであり、それを追いかける人間も虚しいものになる、偶像崇拝はあらゆる罪のもとにもなるということ。それは主なる神の熱情です。

 

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四旬節第2主日 2024年2月25日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 22章1~2, 9a, 10~13, 15~18節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章31b~34節

福音朗読 マルコによる福音書 9章2~10節

 

 

<お説教要約>

今日は四旬節の第二主日になります。第二主日の時には毎年、主の変容の場面が読まれます。第一と第二は四旬節の導入みたいな意味があると思います。第一主日の主の誘惑の場面が読まれる時、回心の歩み、四旬節の歩みの一つの根本的なところを示しています。悪との闘い、誘惑を退けるキリストにならって、キリストの恵みによって、四旬節の歩みを続けることです。

 

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四旬節第1主日 2024年2月18日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 9章8~15節

第2朗読 ペトロの手紙一 3章18~22節

福音朗読 マルコによる福音書 1章12~15節

 

<お説教要約>

四旬節の第1主日では、毎年、イエスがサタンから誘惑を受ける場面になります。今年は、マルコによる福音の伝えているところです。マルコによる福音は、非常に簡単にそのことだけを一節で伝えています。「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」。それだけです。マタイとルカは、その内容などもっと詳しく伝えています。でも、このマルコによる福音のその一節について、特にこの「誘惑」の意味をちょっと深めたいと思います。

 

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年間第6主日 2024年2月11日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 3章16~19節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 10章31~11章1節

福音朗読 マルコによる福音書 1章40~45節

 

 

<お説教要約>

先週はキリストの宣教活動の初めにあたり、キリストご自身の心についての箇所でした。今回は、主の活動の対象になる人、主から恵みを受ける人の心がテーマになっています。重い皮膚病を患っている人がキリストのところに来て、膝まずいて願いました。「みこころならば、私を清くすることがおできになります」と。それを聞いて主はその人を深く憐れみ、手を伸べてその人に触れて、「よろしい、清くなれ」と言われるとたちまち病は治りました。

 

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年間第5主日 2024年2月4日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ヨブ記 7章1~4、6~7節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 9章16~19、22~23節

福音朗読 マルコによる福音書 1章29~39節

 

 

<お説教要約>

今回は年間第5主日で、キリストが宣教活動を始める頃の話の続きです。今回は特に、キリストの心が表れているところだと思います。イエズスはペトロの姑や多くの病人を癒した後、次の朝早く起きて人里離れたところに行って祈ったのです。キリスト自身は神の子であるから祈る必要があるのかと思われるかもしれませんが、それは私たちに対する教訓でもあるのです。イエズスは人間としては祈ることが必要だったでしょうけれど、一つ示しているのは、まず第一に主なる神、第二に宣教活動です。そこにキリストの心が表れています。自分の御父のみ心にかなうこと、まずそれです。それは後のことにもつながってきます。シモンたちはイエスを追いかけて、見つけたら引き止めたい。みんな探してますと言う。人間的に考えたら、それはかなり魅力的ですね。自分が人気者になったら、一緒に泊まってほしいと頼まれたら、たいていの人は嬉しくなる。でもキリストは、人気者になることを求めていない。御父のみ心を求めています。だから主は答えます。周りの町にも行って宣教する、そのために私は出てきたのだと言うのです。出てきたという表現は、ガリラヤのナザレから出てきたと考えますが、特に聖ヨハネが伝えているように、もっと深い意味では御父のもとから出てきたのです。そのために神の子でありながら人間となられて、人間としてこの世の中に来られた。「出てきた」とは、深い意味ではそういうことを指しています。

 

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年間第4主日 2024年1月28日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 申命記 18章15~20節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 7章32~35節

福音朗読 マルコによる福音書 1章21~28節

 

<お説教要約>

今日はもう第4主日で、イエスが宣教活動を始める頃の話です。今回は会堂に入って教えて、そこで悪霊も追い出しました。この箇所を見れば、そこにいた人たちは二回も驚いたと書いてあります。一回目はキリストの教え、キリストが律法学者のようにではなく、権威あるものとしてお教えになったことに驚きました。律法学者たちはモーセの律法を研究して、その前の律法学者たちの教えや解釈を詳しく調べて、それをまとめて人に伝えようとしました。自分の教えではなく、教えられた教えを伝える役割でした。でもキリストは自分の教えとして教えたのです。しかもそれは昔の預言者よりすごい形です。例えば、第一朗読では、モーセは、主はあとで預言者を送るとイスラエルのために言います。確かにそのあと、たくさんの預言者が現れました。聖書にもその名前が載っています。サムエル、エリシャ、ミカ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、預言者は聖書の大事な部分です。預言者の章を読んだら、だいたい皆、「主はこう言われます」と始まり、主のメッセージを、自分の言葉じゃなくて主の言葉として伝えています。でもキリストは違います。自分の言葉として話しながら、それは同時に神の言葉であるという権威を持って話しています。だからみんな非常に驚いたのです。

 

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年間第3主日 2024年1月21日

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朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ヨナ記 3章1~5、10節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 7章29~31節

福音朗読 マルコによる福音書 1章14~20節

 

<お説教要約>

今日は年間第三主日です。何年か前から教皇フランシスコは、この日を「神のことばの主日」と定めたんです。教会の中のみことばの大切さを強調するためです。実はごミサを捧げるとき、二つの食卓が用意されています。みことばの食卓とキリストの御からだの食卓。キリストの御からだをいただく大きな恵みはあります。もう一つ、大きな恵みは聖書を通して主のみことば。それもわたしたちを養うんです。この時期を選ばれたのはキリスト教一致週間にあたるからです。ご聖体においてはカトリックとプロテスタントはそこまで一致していません。みことばに対しては同じ聖書を読んで、ある程度解釈が違うにしても、大きな共通点です。みことばに立ち返ってもっとキリストに近づくならカトリックもプロテスタントももっと一致するようになります。今日の朗読をみれば関連するところがあります。みことばの力強さがしめされています。たとえばヨナに向けられた主のことば。ヨナはただちに言われた通りにしたのです。そしてみことばを伝えたらニネベの人たちは皆、回心したのです。

 

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