カテゴリ:マルコ神父



2024/03/30
イエズスのご受難とご復活は私たちの信仰の中心であり、その祝いは一年間の典礼の頂点です。聖霊降臨の後で使徒たちが出かけて福音を広めた時、何よりも主のご復活を知らせました。それこそ新しい知らせ、良い知らせ、すなわち「福音」でした。
2024/02/24
(ヘブライ人への手紙4章15節) 毎年四旬節の第1主日にキリストが悪魔に誘惑された場面を読みます。聖マルコはキリストが荒れ野に導かれてサタンから誘惑を受けられた、と簡単に伝えています。悪魔(サタン)は堕落した天使で自分の傲慢を許さなかった主なる神を憎んでいます。
2024/01/28
2月5日に26聖人の祝いを迎えて特別なミサも捧げます。殉教者は12月に京都で逮捕されて、連行されて2ヶ月ぐらいかけて長崎までの冬の道を歩かされましたが、それは何よりもの受難でした。その長崎での殉教を目撃した人の記録はまだ残っています。
2023/12/23
主イエスがこの世に生まれたのは、ご自分が一人一人の心に生まれて、  一人一人が生まれ変わってご自分と結ばれて救われる為でした。聖母マリアはキリストがこの世に生まれる為に選ばれたように、キリストが人の心に生まれて人が生まれ変わる為にも選ばれました。その印象的な一例はグアダルーペの聖母です。
2023/11/26
降誕祭前の季節は日本語で「待降節」と呼んでいますが、この季節の元のラテン語の呼び方は「到来」を意味しています。キリスト者は初代教会から主イエズスの到来を待ち望んで祈っています。「マラナ・タ!」(1コリント16章22節を参照。アラム語で「主よ、来て下さい」という意味)私たちもごミサの中で主の祈りを唱えてから毎回「私たちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」と祈ります。でもこの待ち望んでいる到来は主がこの世に生まれた到来ではなく、世の終わりに栄光を帯びて来られる到来です。待降節の典礼は、この再臨の到来を待ち望むことから始まって、次第にキリストがこの世に生まれた到来の記念(降誕祭)に移ります。
2023/10/28
11月は典礼暦の終わりの月ですが、それに因んで人生の終わりと世の終わりが典礼のテーマになっています。教会は月の初めに諸聖人と死者の日を祝って、そして主日のミサでキリストの終末的な話を朗読して、最後に「王であるキリスト」の祭日を祝います。今年はこの祭日に最後の審判の話を読みます。
2023/10/01
1917年の5月13日から10月13日までの6回にわたって、聖母マリアはポルトガルのファティマで三人の子供達に現れました。各出現の時にロザリオを罪人の回心と世界平和の為に唱えるように勧めただけではなく、最後の10月の出現の時に自分が「ロザリオの聖母」だと明かしました。
2023/08/27
アメリカでは敬老の祝いはありませんが、2年前でしたか、教皇フランシコは我々の守護の聖人聖アンナとその夫聖ヨアキムの祝いに近い、7月の第4主日を教会の敬老の日と定めました。それを受けた日本の司教団は、日本の風潮に合わせてその教会の祝いを9月の第2主日に変更しました。大船教会では今年は4年ぶりにミサの後に敬老の祝いの会を開きます。これはまた喜ばしいことです。
2023/07/30
聖体拝領前の信仰の告白に関して、どうして去年の秋に決めた言葉をこんなに早く再検討するかについて、「おとずれ」2月号の巻頭言で説明しました。その後で何人かの意見を聞いたら、規範版に載っている百人隊長の言葉、すなわち『主よ、私はあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。お言葉を頂くだけで救われます』(マタイ8:8を参照)の場合は、ある人は特に「ふさわしくない」と表現するところに引っかかると感たようです。ただし、どうして引っかかるかはよくわかりませんでした。
2023/06/24
どうして大船教会が聖アンナに捧げられたかということをもっと調べてみました。ご存知のように、聖アンナの名前は聖書に載っていませんが、古代教会の伝統によるものです。東方教会では聖アンナに対する信心が古くから見られますが、もう既に紀元6世紀には聖アンナに捧げられた教会が建てられていました。西方教会(ヨーロッパ)では特に中世時代からこの信心が広がりました。

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