先月はシノドスを理解するためにその特徴と注意点について書きましたが、今回の特殊なシノドスは私たちの信仰生活に実際にどのような影響を与えるでしょうか。梅村司教様がシノドス開催発表の当初から指摘したように、今回のシノドスは横浜教区がここ20年ぐらい目指してきた「交わりの教会」と同じような歩みを全世界の教会に呼びかけています。
そのために教会が直面しているあらゆる課題について、司教、司祭、修道者、信徒が共に歩むように私が前回触れた「霊における対話」(ここで「霊」=「聖霊」)を重視しています。これを受けた日本の司教団は今年の3月に日本教会の「ミニシノドス」を開催しました。全国の司教と各教区から司祭1人、奉献生活者1人、信徒1人が集まって実際にシノドスのテーマについて「霊における対話」を行いました。カトリック中央協議会のウェブサイトに載っている報告書によると、とてもいい経験でしたが、私が前回触れた「共同識別」はやはり難しいところでした。同じ報告書によると、各教区の取り組みとしてシノドス的な教会となるために教区で「霊における対話」を実行することになっています。第五地区では藤沢教会を中心に「霊における対話」を実施して広げる動きがあります。
「霊における対話」についてもっと細かく知りたいと思う方には中央協議会のウェブサイトから「シノドスハンドブック」をダウンロードして読むことをお勧めしますが、ここでは主任司祭としての感想を書きたいと思います。沈黙と祈りの間に話し合うということは興味深いやり方でいい試みだと思います。聖霊の導きを求めて識別することもとても重要なことで、信仰生活において欠かせない要素です。ただし、報告書にあったように特に難しいところですので、大船教会で行う場合は次のようなことを心に留めて頂ければと思います。聖霊はある意味で「控え目の神」と言ってもいいぐらい、ご自分のことではなく御父と御子のことを表します。聖霊は信者がキリストにもっと結ばれるように信者の心を照らして力づけて回心に導きます。それで聖霊に導かれて立てた計画では、共同体がもっとキリスト中心になって、み言葉とご聖体をもっと大切にして、回心の道をもっと進んで、愛の業に溢れるようになります。このような計画でなければ、人間的には良いものであったとしても、聖霊からのものだとは言えないのです。