集会祭儀について

今後第五地区でも集会祭儀を行う機会が増えていくと思われます。この機会に、主日のミサの意義を改めて振り返り、集会祭儀のあり方を学びながら、共同体としてともに祈り、ともに集いましょう。

 

<以下、「司祭不在のときの主日の集会祭儀・試用版」カトリック中央協議会発行より抜粋>

 

主日の重要性

・「教会は、キリストの復活の日に起源をもつ使徒の伝承により、過越しの神秘を八日目ごとに祝う。この日はそれゆえにこそ、主の日すなわち主日と呼ばれている。」

・「この日、キリスト信者は一つに集まらなければならない。それは、神のことばを聞き、感謝の祭儀に参加して、主イエスの受難と復活と栄光を記念し、彼らを『新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えて』(ペトロ1-3)くださる神に感謝をささげるためである。」「この集会は神によって呼び集められた神の民の集いであり、キリストの代理者である司祭が主宰する。」

 

司祭不在のときの主日の集会祭儀

・主日の集会祭儀は、たとえ司祭が不在であっても、神のことばを聴き、すべての人のために心をあわせて祈り、神の愛を証しするために集まり、共同体として『真の兄弟愛と聖霊の導きのもとに霊的に強められる』祭儀です。

主日に感謝の祭儀を捧げることができない場合の補助的な祭儀ですが、主日の集会が「交わりの神秘のしるし」となり、また「司祭を待ちながら、感謝の祭儀に与る願望を信者のうちに強める」ことが望まれます。

(感謝の祭儀・奉献は、司祭のみが行うことのできる祭儀です)