イエズスの御血による救い

あまり知られていないと思いますが、実は教会の伝統の中で7月は「イエズスの尊い御血の月」です。ある意味で6月の続きです。ご聖体の祭日には何となくイエズスの御体が中心になりますが、イエズスの御血もご聖体の秘跡です。6月のイエズスのみ心の祭日の時も集会祈願にあるように御父は「人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、限りない慈しみの泉を開いて下さいました」が、聖書によるとみ心が刺し貫かれた時に「すぐ血と水とが流れ出た」ヨハネ19章34節。従って6月の間に祝っているこの二つの偉大な神秘を、7月の間に別の側面から祝う機会になります。

ただし、日本では「血」についてあまりいいイメージがないように感じます。旧約聖書を教える時、動物のいけにえの箇所に対して違和感を感じる人が少なくないです。調べたところでは大昔日本でも動物のいけにえがあったそうですが、現在は一箇所の神社に限られているし、その神社に対して止めるように運動している人もいます。しかし、聖書では「血」に深い意味があります。レビ記17章11節で主は「生き物の命は血の中にあるからである。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである」と説明されました。ヘブライ人への手紙の9章で著者が説明しているように、動物のいけにえの効果は限られていましたが、キリストはその血の中にある神聖な命によって十字架のいけにえを通して私たちの永遠の命の贖いを行われました。

 

また、多くの方は旧約の神は厳しいですが、新約の神は優しいと感じます。その違いはキリストの流された尊い御血のお陰です。というのはキリストの尊い御血は父なる神の正義の要求を十二分に満たしましたので、私たちにはもっと容易に罪の赦しの恵みを頂く機会が与えられました。その意味でイエズスの尊い御血の神秘を祝うことはイエズスの私たちに対する愛を祝うと同時に、イエズスは私たちに対する愛のためにどれほどの代価を払って救いの恵みを備えて下さったかをも私たちに思い起こさせます。「知っての通り、あなた方が先祖伝来の虚しい生活からあがなわれたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によるのです」1ペトロ1章18節~19節。イエズスの尊い御血が全ての人に回心と救いの恵みを与えて下さいますように。