復活節:一連の神秘

教会は復活の神秘を50日間祝います。受難、復活、昇天、聖霊降臨は一つの関連している神秘です。世界情勢の不安定と人の不安な時代を生きている私たちにとってはこの神秘が大きな意味を持っています。キリストはご自分の受難と復活によって人間を苦しめている「罪」と人間が何よりも恐れている「死」に打ち勝ちました。

それによってキリストはご自分の人間に対する愛が「罪」より偉大なことと「死」より強いことを証明なさいました。この神秘を確信していた聖パウロは叫びました。「誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことが出来ましょう。艱難(かんなん)か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」ローマ8章35節。皆さんは恐れることがありますか。あるならば聖パウロに倣ってキリストの受難と復活をもっと確信して、そしてそれに示されているキリストの愛に応える恵みを求めましょう。聖ヨハネが説明しているように「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」1ヨハネ4章18節。

 

キリストの昇天はキリストの「即位式」です。信仰宣言で唱えているようにキリストは「天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、生者と死者と裁くために来られます。」キリストが昇天する時に弟子たちに「私は天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28章18節)と言われた通りです。また聖ペトロも説明しています。「キリストは、天に昇って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです」1ペトロ3章22節。皆さんは将来を考えたら不安を感じますか。感じるならば全てを支配しておられるキリストを信頼してキリストに身を委ねましょう。人間はどれほど暴れ狂おうともキリストの支配を逃れることはあり得ないのです。

 

皆さんはそこまでキリストを堅く信じて愛して信頼して身を委ねることを難しく感じますか。難しく感じるならば弟子たちのことを考えて下さい。受難の時に逃げた弟子たちは復活されたキリストに全世界に行って福音を伝える使命を受けました。その時に弟子たちにとっては明らかに無理な要求でした。しかし、聖霊が降って弟子たちに臨んだら弟子たちは別人のようになって福音を誰彼もなく大胆に皆に伝えました。私たちも心から聖霊の助けを求めると、今できないことができるようになります。