ご降誕、おめでとうございます

主イエスがこの世に生まれたのは、ご自分が一人一人の心に生まれて、      一人一人が生まれ変わってご自分と結ばれて救われる為でした。聖母マリアはキリストがこの世に生まれる為に選ばれたように、キリストが人の心に生まれて人が生まれ変わる為にも選ばれました。その印象的な一例はグアダルーペの聖母です。

 

1519年から1521年までスペイン軍がメキシコのアステカ帝国を征服しました。その後で宣教師はキリストを原住民のアステカに伝えようとしました。洗礼を受けた人はとても少なかったのですが、その中でファン・ディエゴという洗礼名を受けた人がいました。1531年12月9日~12日、メキシコ・シティ郊外のテペヤックで、聖母マリアがファン・ディエゴにご出現になり、「私は聖母マリアです。この場所に教会が建てられるように望んでいます。あなたはメキシコ・シティに行って、司教様にここで起こったことと、私の希望を伝えてください」とおっしゃいました。ファン・ディエゴは、司教様に会いましたが、司教様は信じてくれませんでした。それどころか、何か聖母に証拠になる物を願いなさいと言いました。彼は、聖母にそのことを伝えると、聖母は丘一面に咲くばらの花を持っていくように言いました。そして、ご自分のことを「私は、この地を守る聖母です。私をグアダルーペと呼びなさい」とおっしゃいました。なお戸惑っていたファン・ディエゴに聖母マリアは言いました。「あなたの母であるこの私がここにいるのではないか」彼は、急いで、そのばらの花をたくさん切り、自分のマントに包みました。司教様の前で、自分のマントを開け、ばらを見せました。真冬にばらの花が咲くという不思議だけでなく、そのばらはスペインにしかない種類のばらでした。それだけではなく、マントの内側に彼が出会ったのと同じ褐色の顔色、黒い髪の聖母マリアの姿が、現在科学でも説明できない方法で、うつされていました。その姿は出産間近になっている妊婦の姿で、しかもアステカ文化に根付いた重要なシンボルが含まれていて、生まれる子は原住民がずっと憧れていた「花の楽園」に導き入れる方であるというメッセージを伝えるものでした。この出来事の話は原住民の間に広まって、聞いた人は皆感動してこぞって宣教師のところに行ってしつこいほどに洗礼を求めました。その後、10年の間は800万人から1000万人の現住民が洗礼を受けたと推定されています。こうして聖母マリアを通してキリストが一つの民族のうちに生まれて、一つの民族がキリストのうちに生まれ変わりました。