老いる日まで、白髪になるまで

アメリカでは敬老の祝いはありませんが、2年前でしたか、教皇フランシコは我々の守護の聖人聖アンナとその夫聖ヨアキムの祝いに近い、7月の第4主日を教会の敬老の日と定めました。それを受けた日本の司教団は、日本の風潮に合わせてその教会の祝いを9月の第2主日に変更しました。大船教会では今年は4年ぶりにミサの後に敬老の祝いの会を開きます。これはまた喜ばしいことです。

 

 

日本の風潮に合わせてはいますが、教会の見方は違います。教会は老いることを信仰の目で見ています。人生の高齢期は人生の完成期でもあります。桜の木の種は手に持てますが、良い土に植えて水をやれば、種が秘めている内面的な力によってどんどん成長して木に育ちます。環境の条件さえ満たされれば、桜の木はこうして自然に植物としての完成に向かって成長します。人間の場合はそう簡単ではないのです。人間にも環境の条件もあるし、人間としての完成に向かう生得指向もあります。しかし、人間の場合は自然にではなく、自由意志を持って自分の完成を選ぶ必要があります。その完成のはっきりした現れは感謝です。父から聞いた言葉はとても印象に残りました。「僕の心は感謝でいっぱい。誰よりも幸せな人生を送って、誰よりも沢山の恵みを頂いた。天国に行ったら神様に感謝するには永遠も足りないだろう。」父は次の主の言葉が真実だと、身を持って経験したから、そう言っていると思います。

 

「同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す。」イザヤ46章4節

 

大船教会の年配の方々に敬老の日の祝いを申し上げます。教会の共同体は心を合わせて皆さんの健康と幸せをお祈りしています。皆さんの寂しい時、主が一緒におられることが感じられますように。皆さんの体力が落ちた時、主が担い、背負って下さることが感じられますように。皆さんの苦しい時、主が救い出してくださることを体験しますように。主に対する信頼と人からの助けが欠けることがありませんように。皆さんの長い人生を通して得た知恵が心の平和のもとになって、周りの人々にとって恵みになりますように。そして今まで主から頂いた数々の恵みが心の喜びとなりますように。