「聖ヨセフと四旬節」

去年5月発行の説教要約集の巻頭言に触れたように、今年から聖ヨセフの祭日に特別なごミサを捧げることにしています。今年は3月20日になりますが、毎年、四旬節の間に祝います。でも考えてみれば、四旬節の間に回心に励んでいる私たちにとって聖ヨセフは、目指している模範的なキリスト者の姿を示しているから、ちょうどよいのではないかと思います。

 

聖書によると、聖ヨセフは正しい方で謙遜と従順の方でした。聖母マリアと一緒になる前に彼女が妊娠していることがわかったら「密かに縁を切ろうと決心した」そうです。なぜそう決心したかは聖書では説明されていませんが、聖母マリアを疑ったからではないと思います。聖母マリアをよく知っていたから、決して淫らな行いをする方ではない、とはっきりわかっていた筈です。それなら、なぜ縁を切ろうと決心したのでしょうか。私が一番納得できる説によると、聖ヨセフは聖母マリアの妊娠の前に不思議な、神秘的な、神的なものを感じたから、畏れ多い気持ちになって身を引こうとしました。それは聖ヨセフの謙遜の心の表れです。でも天使が夢に現れて「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と命じたので、眠りから覚めたら言われた通りにしました。それは聖ヨセフの従順の心の表れです。(マタイの1章18節~25節を参照)

 

この話は前回書いた「拝領前の信仰告白について」の巻頭言に通じるところがあります。もう一つの言葉「主よ、私はあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。お言葉を頂くだけで救われます。」の中で特に「ふさわしい者ではありません」というところを理解するために大切だと思います。実は教会ではこの表現を二つの意味で捉えています。一つは、聖パウロが言う「ふさわしくない」場合はご聖体を頂いてはいけません。(1コロント11章27~29節を参照)それは、主に十戒で禁じられている大罪を犯した場合ですが、そういう時にご聖体を頂く前に回心して赦しの秘跡を受けるべきです。もう一つは、百人隊長が言った「ふさわしくない」場合は、ご聖体を頂く心の準備をします。(ルカ7章1節~10節を参照)ご聖体のうちにキリストご自身を頂くことを弁えて、その身に余る恵みの前にへりくだりの心を表します。それは聖ヨセフがおとめマリアの妊娠の神秘の前で示した態度です。そして四旬節の回心の歩みにふさわしい心です。