皆さんは、今年はどんな心で祝いますか。

これから迎える聖なる三日間(聖木曜日、聖金曜日、復活徹夜祭)は教会の全典礼の頂点で、その原点と由来だと言ってもいいです。この聖なる三日間のごミサが捧げられる度に、キリストの受難と復活が記念されて祝われています。去年のごミサ中止の間でも、非公開ではありましたが、この聖なる三日間の典礼だけ行いました。今年はまだコロナ禍の中で人数制限はありますが、幸いに公に祝うことができそうです。

皆さんは、今年どんな心で祝いますか。

 

典礼はキリストの神秘を記念して祝う為にあるだけではなく、その神秘にあずかる為にあるのです。キリストが死んで復活したように、私たちも罪に死んで神に生きる者になるように呼ばれています。それは、自己中心的な生き方からキリスト中心的な生き方に回心して成長する信仰の歩みです。

 

洗礼の恵みによって私たちは主の死に与りますが、「それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためなのです。」心の復活、霊的な復活です。「私たちの古い自分がキリストと共に十字架に付けられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないため」です。「死ぬ前に死ね。その後は救われようがない」と言われているように、私たちも「自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考え」るべきです。でも、やはり、死は恐ろしいのです。人間はどうしても避けて通りたいと切望します。キリストだったら「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いを捧げ」ました。しかし、キリストは死を前にして御父に向かって「私の願い通りではなく、御心のままに」と祈られて、弟子たちに「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る」と教えられました。(ローマ6章3~11節、ヘブライ5章7節、マタイ26章39節と16章25節を参照)

 

皆さんは、今年はどんな心で祝いますか。

 

教会が典礼を行う時には、キリストが御父にご自分を捧げておられます。私たちがキリストの奉献に心を合わせるなら、その神秘にあずかります。そして主の恵みによって主の跡に従って十字架の道を歩む勇気と力を頂きます。やがて主の復活にあずかる為に。