年間第34主日 2024年11月24日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ダニエル書 7章13~14節

第2朗読 ヨハネの黙示録 1章5~8節

福音朗読 ヨハネによる福音書 18章33b~37節

 

<お説教要約>

今回は年間第34主日でしたたが、それは毎年「王であるキリスト」を祝っている祭日です。

たしか教皇ピオ11世によって定められました。先世紀の初め頃ヨーロッパで独裁主義の傾向が表れ人々に人間の支配がありました。が、すべてをこえてキリストが支配しておられる事実を思い起こさせるためでした。

 

今日の朗読からもわかることですが、「この方は死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリスト」(ヨハネの黙示)復活と昇天によって主はすべての王になられたのです。復活して弟子たちに言われました。「天地の一切の権能はわたしに授かっています。」昇天はある意味キリストの即位式といってもいいです。第一朗読でも預言していると思います。「人の子」とはキリストご自身、生前自分のことをさしていました。ダニエル書ではちょうどそのように使っています。ご自分がどのような人かすでに暗示してありました。人の子は「権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。」それは現在の王であるキリストのことです。福音書では、ピラトがキリストに尋問する箇所。「キリストは自分の国はこの世に属していない」と翻訳ではなっていますが、英語では「私の王国はこの世に属していない」ヨハネの福音にあるようにキリストは地上の王たちの支配者です。あらゆる統治者・支配者より上におられます。すべてを支配しておられます。人間の支配者は人が生きている間は支配していますが、死んだら終わりです。でもキリストは第一朗読にあるようにその統治は終わることがないのです。世の終わりまで支配しておられます。ただその事実を認めている人と認めていない人がいます。認めている人はキリストを信じて、キリストの言葉を守って聞き従う人です。キリスト者。ただすべてのキリスト者ではないのです。キリストを信じていながら聞き従っていない人もいます。でもその人も認めてはいます。その意味でその人のうちにこの地上でもキリストの支配しておられる国はすでにあらわれています。とくに聖人たちはキリストの国に属している人のありさまをしめしています。これはわたしたちに対する大事なところでもあります。聖パウロがいっているようにわたしたちの本籍は天にあります。そこからキリストがあらわれるのを待っています。その意味でキリスト信者は2国籍をもっています。一番基本的な本籍は天にあります。まずキリストに属するものです。2番目は自分が住んでいるこの地上の国の国民です。でもそれは一時的なものです。支配者もそうです。国民が生きている間は支配します。その人が死んだらもう支配できないのです。ただ本籍のキリストが支配する国は永遠に続きます。

 

この祝いはわたしたちにこの心構えをもつように呼び掛けています。それにもう一つ求めることは聖パウロがいうようにキリストがまた来られること。ミサのなかで繰り返し言っています。「キリストがこられるのを待ち望んでいます。」他にも求めています。主ご自身が教えてくれた祈り「み国がきますようにみ心が天におこなわれるように地にもおこなわれますように」神のみ国はすでにあります。キリストご自身は王にもなって人類の歴史を導いています。自分の救いの計画を実現させています。でもそれはまだ完全に見えていないのです。人間のなかで主の教えにさからって反乱して抵抗していることはよく見えます。特に現代社会では一斉に神の支配をしりぞけて人間の支配を打ち立てようとしているようです。人間の世界から神を排斥しようとする動きが強くなっています。でもわたしたちはまた祈り続けます。み国がきますように。すべての人がみ心を行うように。天国ではすでにそうなっています。すべての人、すべての聖人は神のみ心を行っています。地上でもそうなる必要があります。そうなってはじめて世界の平和になるのです。それは聖母マリアがファティマで預言したことです。大変な苦難の時代のあとに人類に平和の時代が与えられる。平和になるには神のみ心を行うようになることです。わたしたちも求めるべきところです。主が教えてくださったことでもあるし、とくに望むべきことです。人間は主の統治に逆らうとき、自ら不幸になります。人間の本当の幸せ、この地上に得る幸せと世界の平和の実現には、神のみ心をおこなうことは必要条件です。キリストはそれを求めるように教えたし、キリストは無駄に何かを求めることは決してないのです。まず苦難を通って人が清められる必要があります。苦難は人を回心に導くためです。主はすべての人の救いを望んでおられるからわたしたちも人の救いのために祈るべきです。苦難のときに神に回心して立ち返ってそこでみ心をおこなうように求めるべきです。ただどうしてもかたくなになってそれを拒み続ける人は、主ご自身がその人を取りさってくださいます。それによってこの地上に残っている人は、神のみ心を行う人だけになるから、聖母マリアが約束されたように人類に平和な時代が訪れます。