年間第17主日 2024年7月28日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 列王記下 4章42~44節

第2朗読 エフェソの信徒への手紙 4章1~6節

福音朗読 ヨハネによる福音書 6章1~15節

 

<お説教要約>

今年は典礼的にB年で主日の福音はマルコ福音書を読みますが、この時期にはしばらくヨハネ福音書の6章を読みます。今日はその最初の箇所で、パンと魚を増やした奇跡の話です。ヨハネは他の福音書と違う書き方をしています。他の福音書が伝えていることのほかに、特にその意味を伝えようとしています。何かの出来事があるとその内容をもっと深めています。今日のもその一つです。

 

今日の箇所を読むと、これは恵みの偉大さを語るメッセージになっています。特にキリストによる恵みの偉大さです。旧約時代と比べてみましょう。預言者エリシャがパンを増やした奇跡で、エリシャの場合は大麦パン20個が100人のためでした。たしかにそれは100人が食べるためには足りません。イエスの場合は大麦のパン5個が5000人以上の人たちのためでした。キリストによる恵みは、旧約時代に示された恵みよりはるかに大きいことが示されています。この話に示されるのは恵みの大きさです。5つのパンで5000人が満足しました。食べ残りは12のかご一杯になったほど、有り余る恵みでした。必要の恵みを越えるほどの恵みでした。キリストの恵みは人間の必要を越えるほどの恵みです。

 

もう一つのことは、結果として、最初の5つのパンよりはるかに多いものが残ったことです。それだけでも大きな恵みでした。その恵みの前で人間はどう反応するのでしょうか。そこでキリストはフィリッポを“試みるため”に質問されました。試みるとは“心を見る”という意味に由来するそうです。どういう心を見ようとされたのでしょうか。その思いにも駆られます。この質問でどのような結果が現れるのか、何が出るか。そこに心が現れます。フィリッポは以前キリストと一緒にカナの婚宴に参加した一人でした。そのときキリストが水をぶどう酒に変えて栄光を表わされたことを見て、弟子たちはキリストを信じた、と書いてあります。フィリッポは今、どこまでそれを信じていたか、それを見る為でもあったかと思います。

 

もう一つあります。その恵みを意識するためにキリストはフィリッポに尋ねられたのでしょうか。彼ははっきりと答えます「銘々が少しずつ食べるためにも200デナリオン分のパンでは足りないでしょう。」とても足りない、何ともどうしようもないような状態です。キリストの質問は、フィリッポが無理であることを意識して答えた後、キリストの業を見て奇跡の偉大さを彼が本当にわかるための質問でした。質問されなければフィリッポはそこまで気づかなかったかも知れません。キリストの質問にはそのような意味合いもあったかと思います。

 

このことは私たちにも当てはまります。主は恵みを絶えず与えてくださいました。いのち、生きていること自体すでに大きな恵みです。今までの数々の恵みの前に私はどう反応しているでしょうか。場合によって主は私たちを試みられます。私たちが恵みを意識するために。これも悩み、苦しみの意味だと思います。こういう時、多くの人は神に助けを求め、これから解放してくださいと願います。実際に悩み・苦しみは、もう一つのことのためでもあります。今までどれほどの恵みを頂いたかを認識するためです。今までの恵みを思い出すなら、悩み・苦しみをもっと良く受け取ることができます。願うときに、もっと信頼をもって祈ることができるようになります。どうか主よ、どうしても、何とかして、というのではなく、平和な心で穏やかに主に願うことができます。主はおっしゃいます。御父は私たちに必要なものをご存じですから、信頼をもって祈ることですと。信頼を込めて、受けた恵みを心に留めて祈ることが大切です。ここに感謝の祈りの大切さもあります。

 

この話にもその意味合いがあると感じます。残ったものを集めるようにキリストが指示されたとき、「少しも無駄にならないように」と言われました。大きな恵みを受けたら、その恵みが無駄にならにように、ということで、これは重要です。聖パウロもコリントの信徒たちに書いています。「受けた恵みを無駄にしてはいけない」と。無駄にするとはどういう意味でしょうか。一つは感謝を忘れること。恵みを心に留めず、恵みに応えないことです。まず感謝しましょう。感謝を通して恵みをもっと心にとめるようになります。常に感謝していると感謝する心が育ち、もっと穏やかで平和な、幸せな心になります。悩み・苦しみに遭うときにも力になります。神はこれまで恵みをくださったのですからこの悩みの中でも助けて下さるに違いないと信じて安心できます。恵みを感謝するようになるなら、さらに恵みを頂きます。