年間第12主日 2024年6月23日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

 

第1朗読 ヨブ記 38章1、8~11

第2朗読 コリントの信徒への手紙二 5章14~17節

福音朗読 マルコによる福音書 4章35~41節

 

<お説教要約>

今回は一つの出来事です。弟子たちはイエスと一緒に舟に乗り、湖で嵐がおこります。弟子たちは怖くなりますが、キリストはそこで自分の力をしめして嵐が静まります。最後のところは特に大切なところですね。私たちにたいする教訓でもあります。イエスは弟子たちに言われました。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」命の危険のところでした。舟が水びたしになるほどでした。沈む恐れは十分ありました。でもそれでもイエスは言うんです。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」人間的に考えれば身に迫る危険を恐れることは普通のことです。でもこのことは教訓でもあるのです。信仰の大切さ、特に嵐みたいなものの中で。

 

というのは順調に生活を送っている状態でイエスを信じることはそれほど難しくない。でも嵐が起こってきたら、そこで信仰はためされます。嵐といえば、この間の火曜日のような豪雨とか大雨警報とかとは違うと思います。それより社会的な嵐、特に現代では皆さんも経験した3年前のコロナ禍の始まりを思い出したらわかると思います。一遍でおそってきた、同じような身に迫る命の危険の感覚、多くの人は神経をとがらせて不安と心配の社会的な状況として特に最初はすごかったと思います。それを振り返ったら自分はその中でどんな反応でしたか。キリストを信じているといいながら、社会的な嵐の中に入ったら、自分は主に希望をかけて落ち着いて生活できたでしょうか。それとも心配と不安にとらわれて大変な思いをしたでしょうか。

 

このことを考えると信仰の大切さも強調されます。このコロナ禍は一つの経験ですが、今後も同じようなこと、それ以上のひどいものが襲ってくる可能性があります。世界情勢を見れば危険な状態です。戦争が広がる恐れはあるし、経済的危機とか飢饉。特に日本の場合は輸入に頼っています。もし世界の貿易の影響で輸入が難しくなったら日本は大変な状態になります。

 

それは怖がらせるためではないのです。ふりかえって今後のことに備えるために。願わくばそこまでならないように祈りながら、でも可能性は否定できないのです。それだったら私たちはどうやったらもっと信じるようになるか、そこでイエスは恐怖は不信仰のあらわれと言っています。信仰といえば要素はいくつかある。一つは信じること自体。主なる神の存在を信じること。信頼する、身をゆだねる態度。それも信仰のうちにあります。特に信仰の深いところは、聞きしたがうところです。それもキリストは教えています。聞きしたがうことは、今、私たちは実際に祈っています。主の祈りを祈るたびに、それを願っているのです。

 

「みこころが天におこなわれるとおり、地にもおこなわれますように」その意味は、神さまが自分のみこころを地上でおこなうという意味ではないのです。それをとめる人はいないのです。ありえないのです。むしろ主のみこころを私たちが行われるように、私たちのことを祈っています。私たちが主のみこころ「天におこなれるとおり」この地上にいる私たちも同じように主のみこころをおこなわれますように。そういう祈りです。それは一番の秘訣です。主のみこころを行う人は、主はすべてを見ておられます。キリストも教えています。「思い悩むな」と。主に信頼して。主は必要なことを全部ご存じです。だからまず神の国と義を求めなさい。そうすればすべては加えられて与えられる。神の国とその義はみこころを行うことと同じことです。

 

どうやってそうするか。まず私たちがそれを望んでいるか問われます。みこころを行いたいと望んでいるかどうか。どういう気持ちになるかはそれぞれでしょうけど、みこころを行いたいという思いがあまり強くなければ、主に対する愛がそれほど強くないあらわれだと思うんです。人間関係においても人が他の人を深く愛するときは、その人も自分の愛に気づいて応えてほしいと思うのは当然です。そしてその人に喜んでもらいたいと、その人がしてほしいことを全部するのです。むしろその人に何か頼まれたら大きな喜びになります。自分がその人にとって必要とされると喜びます。人間関係でもそうですが、神さまとも同じようなものだと思うのです。本当に神さまを愛しているなら、神さまに喜ばれたい気持ちになって、主がしてほしいことは喜んでしたいと思うのです。

 

どうやって主をもっと愛するかというと、逆説的かもしれないけど主のみこころを行おうとするところから入っていくのが一番効果的です。私たちは自分の信仰を本気にして、主との関係を大切にするなら、自分が唱えている主の祈りを心にとめて、主のみこころを行おうとする、そういう態度をとるなら主は喜ばれます。私たちは、主が喜ばれていろいろな恵みをいただいて、それでもっと主を愛するようになるのです。それがまた強くなったらますます主に結ばれるようになるのです。すると心の状態が変わります。朗読の湖のイメージ、海の嵐では、人の心は海の状態になるのです。海は嵐があるときは表面は波立ちます。荒れます。でも深いところでは水はほとんど動いていません。それは主のみこころを行おうとして信頼している人の心の状態のようなものだと思います。自分の生活の周りに、社会的に嵐があっても、心の奥底に平和があるのです。それだったらある程度恐れを感じても動揺しないです。主に希望をかけている人はそういう心になります。私たちは今、大変なこれから何が起こるかわからない時代に、そういう風に主を求めて主のみこころを行う恵みを心から求めることは非常に大切だと思います。