年間第10主日 2024年6月9日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 創世記 3章9~15節

第2朗読 コリントの信徒への手紙二 4章13~5章1節

福音朗読 マルコによる福音書 3章20~35節

 

<お説教要約>

今日の福音ではおもにキリストが悪霊を追い出しておられる場面が語られています。これ自体興味深いことです。旧約時代には悪霊を追い出す場面は1回あるかないかですが、新約になるとキリストはほとんど毎日、病を癒すのと同じぐらいたびたび、悪霊を追い出しておられたことがわかります。これも癒しの一つです。悪霊による苦しみを癒す、これも奇跡の一つです。なぜかと言うと、聖書には説明はありませんが。悪霊はたしかに旧約時代にもいましたが、神の子キリストが来られると悪霊はもっとはっきりと現れてくるようになったのではないかと思います。存在が表面化したのです。キリストの時代以後も、聖パウロが説明しているように「私たちの戦いは今日に至るまで、人間でなく、悪霊を相手にしているのです。」

 

この個所を機会に悪魔に対する心得をおぼえていたら良いと思います。第一に悪魔は嘘つきです。偽りの父。今日の福音にもそれが見られます。エルザレムからくだってきた律法学者たちはキリストについて、悪魔に取り付かれていると言っています。救い主を悪魔に取り付かれた者、と言うのです。大変な間違いです。キリストご自身が説明しているように、“気が変になっている”と言われていたのですが、これはごまかしで悪魔が狙っているところです。人は神からのものを悪魔からのものと思うえばそれを拒みます。救い拒むことは人が改心しなければ致し方がありません。これは赦されない罪、聖霊に対する罪になります。悔い改めるなら救われますが、最後まで悔い改めなければ最後まで拒むことになり、それでは救われません。悪魔の働きは私たちを騙すことで、第一朗読でも楽園での最初の悪魔の働きが読まれます。

 

聖アウグスティヌスは特に悪魔のごまかしについて警告しています。悪魔は普通、罪を犯す前に人を安心させようとします。これぐらいのことはかまわないから大丈夫、とか特に、神は慈しみ深い方だから、あとから告解すればすべて赦される、だから今は構わないと。これはひどいことです。神の慈しみを罪を犯す理由にしてしまっているからです。これは神に対する冒瀆です。そして悪魔の働きは、罪を犯すともっとひどくなります。今度は、お前はダメだ、これほどの罪を犯したのだからもう神は赦さない、絶体絶命だと。これも一つのごまかしです。

 

神は悔い改めさえするならどんな罪でも赦してくださいます。イエスを裏切ったユダの罪は多分人類の罪の中で最も重い罪ですが、彼も改心したならば主は赦したでしょう。聖アウグスティヌスが言っています。人は、罪を犯す前に正義を心にとめて神を恐れなさい、罪を犯してしまった後には神の慈しみを心に留めて悔い改め、神に希望を置きなさいと。こうすることによって悪魔に打ち勝つことになります。これは一つの心得です。

 

もう一つ、キリストは悪魔より無限に強い方です。今日の喩えは、家に押し入って家具を奪い取る喩えですが、強いものを縛り上げなければだれもその人の家に入って家財道具を奪い取ることはできません。キリストが悪霊を追い出す活動はそれを表わしています。キリストは悪魔より無限に強いので、悪魔を縛り上げて、悪魔が自分のものにしようとする者を奪い取り、神と和解させてくださるのです。

ここに私たちの希望があります。まず、キリストに結ばれれば結ばれるほど悪魔は誘惑できなくなるということです。人間の中の罪は誘惑への手がかりですが、私たちがキリストに結ばれるとそのもとがなくなるので悪魔は誘惑できなくなります。これは悪魔の働きを逃れるために何よりも効果的です。力強いことはキリストに近づくこと、キリストを求めていく心です。何よりも悪魔から逃れることです。

 

悪魔祓いには、心から痛悔して秘跡を受けることが一層効果的です。罪の赦しによって、悪魔から解放されます。ここの喩えにあるように、悪魔が罪びとを自分のものにしようとするときには、その人の罪によって誘惑します。罪を犯すとき悪魔に似たものになるから悪魔は力を得ます。悪魔は人間よりはるかにすぐれているので、人間は自然のままでは悪魔に歯が立ちません。しかしキリストによって悪魔に打ち勝つことができます。聖パウロも「私たちの一時の艱難は比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」と言っています。そこには目的があり、それが信仰の歩みの力になっています。

 

誘惑されたとき、目先の事、この世の事で心が惹かれることがあっても、この世でどんな苦しみがあっても後で主がくださる素晴らしい栄光があることを思い出しましょう。この世のことのためにその栄光を捨てるのは愚かさの極みです。希望をもってキリストの内にとどまるならば、私たちも悪魔に打ち勝つことができます。