年間第21主日 2023年8月27日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 22章19~23節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 11章33~36節

福音朗読 マタイによる福音書 16章13~20節

 

<お説教要約>

今日の聖書では一つのエピソードが読まれました。キリストが弟子たちに、「人々は人の子のことを何者だと言っているか」と尋ねると様ざまな答えが返ってきましたが、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言しました。これはペトロに御父から示されたことであるとキリストは言われました。そしてキリストはこの機会にシモンにペトロという新しい名前を与えました。これは現代の教会の姿でもあります。

 

イエスは最初から弟子たちを呼んで、その中から12人を選び、使徒と名付けました。これ自体に意味があります。12というのはユダヤの12部族を考えてのことで、ご自分が行動をもって新しいイスラエルを作ることを意味しました。今日の聖書の箇所ではそこから一歩進んで、12人の中からシモン・バルヨナを選んでペトロと名付け、特別な役割を与え、天の鍵を授けました。ペトロという名前自体も岩の意味を持っています。岩の上にご自分の教会を建てられたのです。

 

12人とその中のペトロの立場は現代においては教皇とそれぞれの司教の関係になっています。教皇はペトロの後継者、司教は他の人たちの後継者であるということで同じ関係があります。司教は或る限られた地域の教会のまとめ役、指導者、責任者、牧者です。横浜教区では梅村司教がその役割を果たしています。これは目に見える一致のしるしです。彼のもとにある私たちを牧者として指導して下さいます。それに対して教皇様は全教会の指導者、牧者として選ばれていて、ペトロの後継者としてキリストから特別の権限も授かっています。これがこの個所に関するカトリック教会の理解です。

 

そこで私たちに対する意味を考えると、まず、教会の組織を見るとき、信仰の重要性が示されています。なぜイエスはペトロを選び権限を授けたのでしょうか。彼の信仰告白は御父から示された啓示でした。キリストは常に御父のみ心を果たしていますからペトロを選びました。彼の信仰宣言によってペトロは選ばれたのであって、これは教皇の第一の務めです。教皇はいろいろなテーマ、移住者・難民、平和、環境破壊問題などへの関心を呼びかけますが、教皇として何よりの立場、責任あることは、キリストに対する信仰、「あなたはメシア、生ける神の子」ですということを正しくしく宣言することです。正しい理解を守るためであって、新しい教えを語ることではありません。使徒から受け継いだ信仰を正しく教え、伝え、宣言する責任があります。

 

これは私たちの信仰を助けることにもなります。キリストはのちに、ペトロが主を知らないというであろうと予告してこう言われました。「あなたは立ち直った時、兄弟たちの信仰を助けてやりなさい」(ルカ 22・32)。これも教皇の役割です。私たちの場合、教皇が私たちの代わりに信じるのではなく、私たち自身が信じることが絶対に必要です。子育ての親は子供に代わって成長することはできません。親がいくら食べても子供自身が食べなければ子共の栄養にはなりません。教皇もいくら信仰を宣言しても私たちが信じなければ私たちのためになりません。

 

もう一つ、教皇は教会の中の信仰を強める役割を持っていますからそれは私たちの信仰に助けになるということです。人がキリストを信じるかどうかには自由もありますが、キリストを信じるのであれば正しく信じるべきです。好き勝手な信仰ではありません。正しく信じることは教会、特に教皇に責任がありますが、教会が宣言している信仰をそのように信じるのが本当の信仰です。自分勝手に、好きなように信じるなら、自分の想像のキリストを信じてしまい、本もののキリストを信じることになりません。教会が宣言するキリスト以外は本ものではありません。教会が信じるようにキリストを信じることは私たちの信仰を助けることになります。教えによって自分からもっと信じるように、また、正しく信じるように私たちは助けられています。

 

他方、私たちは教皇のために祈らなければなりません。彼は責任があり、多く与えられた人には多く求められます。司祭である私も、信徒よりもっと厳しく裁かれると信じています。責任がもっと大きいからです。とすると、教皇はどれほど厳しい裁きを受けることでしょう。責任がありますからもっともっと厳しいでしょう。多く与えられているから多く裁かれます。私たちは教皇様に助けられているのですから、教皇様が忠実に務めを果たすことができるように心から祈ることが大切です。