年間第19主日 2023年8月13日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 列王記上 19章9a、11~13a節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 9章1~5節

福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節

 

 

<お説教要約>

 今日はひとつの力強いエピソードと言いましょうか、イエスが湖の上を歩いて弟子たちのところへ行って、聖ペトロもイエスの力によって湖の上を歩かせてくださる出来事です。これはイエスの力を示している出来事です。ある意味では、先週の主の変容に関連します。その時イエスはご自分の栄光を示しました。ここでは、輝く栄光ではなく、その力を示しました。普段行なっている奇跡よりも力を示しています。

 

旧約を見れば、他にも奇跡の話があり、預言者たちの中にも奇跡を行った預言者がいます。特にエリヤ、エリシャは、かなりの奇跡の記録が残っています。でも、海の上を歩いた記録は他にはないです。風を静めるなどの自然に対する力を、ここではっきり示しています。それで弟子たちは、最後にイエスを拝んで「本当に、あなたは神の子です」と信仰告白をするほどです。これはキリストが示しているところです。

 

次に、教会の伝統の中で、私たちに対する意味も考えます。聖書と典礼の導入のところに〈マタイ福音書はこの出来事の中に、自分たちの教会の不安定な要素を重ね合わせて見ているようである。不安に怯える弟子たち、教会とともにいてくださるキリストへの信頼が求められる。〉と書かれてあります。昔から、教会のひとつのイメージはちょうど船のイメージです。教会はひとつの大きな船として旅しています。海の上を、嵐にあったり、困難な時もあり、教会の歴史を見れば、難破しそうなところもかなりあったけれど、今まで続いています。それは主イエスの力によるのです。主イエスご自身がおられるからです。そこはこの話にも見られます。弟子たちは、自分たちだけでいる間、波に悩まされて危険な目にあったのですが、イエスが船に入ったとたん、波が静まり楽になります。イエスが一緒にいると、いないとのちがいです。イエスは、ある意味でいつも一緒にいるのですが、導入にあるように、私たちが信頼することを呼びかけられています。共同体としての意味はそこにあります。

 

個人的なことを考えたら、ここの聖ペトロの姿は私たちに教訓を与えています。私の印象として、聖ペトロは性格として向こう見ずなところがあると思います。深く考えないで、そのまま話してしまうタイプでしょう。ここはイエスに対する思いから話していると思いますが、イエスが来なさいと言われたら、ペトロは船から降りて水の上を歩きます。ここから後のことが大事です。イエスの方へ進んだ。イエスを目指して、集中している間、水の上を歩いています。ここまで大丈夫です。しかし、強い風に気づいて怖くなり沈みかけた。イエスから心離れて、中心にイエスを見るだけではなく、周りの問題、水の上にいて、風、波の強さ、今の自分が気になったら沈みかけます。これは大事な教訓です。私たちも不安や誘惑の中で、ひたすらイエスを見つめることが大きな鍵です。もちろん自分の悩みなどは主に捧げるのですが、主に向かって、集中し、自分のことより、主のことを考えて見つめて祈ることが大切です。そうしたら、私たちも困難を通して進めるようになります。聖ペトロは沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫びました。キリストは、聖ペトロを信仰の薄いものと呼びましたが、助けてくださったのです。つかまえて無事に船に戻りました。ここもひとつの教訓です。困難の中で主を呼び求めることです。ここでは、「主よ、助けてください」と翻訳されていますが、英語訳を見れば、「主よ、救ってください」と訳されています。この場合、沈んで溺れないようにという救いもありますが、もっと深い意味で永遠の滅びからの救いと考えられます。

聖パウロは言っています。「主を呼び求めるものは誰でも救われます。」主を呼び求めることはすごく重要です。

 

それで、ずいぶん昔の砂漠に住んでいる、ある修道者の話を思い出します。ある時、ひどく誘惑されて、自分でいろいろ頑張って、でも乗り越えられなくて、今にも負けそうになった時、「主よ、助けてください」と叫んだのです。すぐにキリストが恵みを与えて、力づけて誘惑は終わりました。まるでイエスが船に乗って風が静んだように、誘惑の波も静んだのです。でもその修道者は、後から主にブツブツ言ったそうです。「主よ、どうしてもっと早く助けてくださらなかったのですか?」キリストは問い返しました。「どうしてもっと早く呼び求めなかったのですか?」そこは大きな鍵です。不安と誘惑、その最中でキリストのことを思い出すことは難しいこともありますが、すごく重要です。すでに主のことに心向けているなら、そのような時でも、主のことをもっと思い出せるようになります。その中で、「主を呼び求める人は誰でも救われます。」と聖パウロが言っているように、私たちも主の助け、その救いを経験することになります。