年間第3主日 2023年1月22日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 8章23b~9章3節

第2朗読 コリントの信徒への手紙1 1章10~13、17節

福音朗読 マタイによる福音書 4章12~23節

 

 

<お説教要約>

きょうの福音書では、キリストは自分の宣教活動を開始します。そして、そこでメッセージの要約と言いましょうか、一番最初に告げる言葉があります。「悔い改めよ。天の国は近づいた」。注釈にあるように、この「天の国」は、神の国の言い換えです。福音書が読まれるとき、この短い言葉をわたしたちは何度も聞いたことがあると思います。でも、深い意味があります。背景には、ユダヤ人の信仰の歩みがあります。特に、捕囚の経験。捕囚のときは、本当に大きな災害、災い、不幸でした。国が滅びて、エルサレムは陥落して、神殿も破壊されました。そして多くの、ほとんどのユダヤ人が捕囚に連れていかれたんです。

 

帰ってからも、最初は結構大変だったんです。小さいグループとして再出発の難しさとか、いろいろありました。でも、それと同時に預言者のメッセージも受け取りました。まずそれは全部自分たちの罪によってそうなったんです。主に逆らったから、そういう大きな懲らしめを受けたんです。辛い目にあったんです。そこで意識して回心する気持ちもありました。それに、預言者は素晴らしい将来を約束したんです。主ご自身がもっとはっきり力を示して、すべて散らされたユダヤ人を集めて、自分の国に連れていってそこに住まわせて、その上、世界が楽園のように新たになって、何よりも人々の心が新たになります。以前と違って、もっと進んで主を知って愛するようになって、主からもう離れないと。そういう預言は捕囚の後で実際には実現しなかったんです。

 

でも、神の言葉だから、それを信じて、きっと将来、主なる神はそうなさると信じていました。そのことは、神の国、天の国と呼ばれるようになったんです。キリストは、同じ思いを伝えています。ただ、キリストが皆が使っていた表現を使うときは、いくらか違う意味合いというか側面が出てきます。ユダヤ人は天の国、神の国は、突然完全に来ると思っていたんです。でも、ここでキリストは「天の国は近づいた」と、もっと段階的な感じです。しかも、それは、ご自分においてです。ご自身において、天の国は近づいたんです。そして、それを自分の行動でも、教えと同時に示したんです。

 

たとえば、きょうの福音の後半にもあった「民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」。いやしの秘跡は、天の国が近づいた目に見える、見えることによって知る、しるしです。その救いを皆が知るように見えるようにして、神さまがキリストにおいて力をあらわし始めたんです。でも、それはまだ完全にはなっていないんです。イエスの時代にも、イエスの時代の後でも、ユダヤ人に預言されたそういう完全なものは、わたしたちの時代まではまだ見えていないんです。でも、その間は、それが来る前までは「悔い改めよ」の時期です。主に立ち返るように。そのために、きょうは、キリストは最初の弟子を呼びます。人間をとる漁師にしようと、後で弟子を発見してそのメッセージを広めるようにします。

 

というのは、救いはキリストの誕生によってこの世にすでに生まれたんです。光はこの世にもう現れています。でも、それが完全になるのは、キリストが再び帰るとき、再臨のとき。ここがキリストのもうひとつの違いです。神の国が到来したら、それで全部がよくなると聖書の預言書にはあるんですが、キリストの場合、それは裁きのときです。だから、皆、報いを受けるんです。そこで完全にされて救われる者は、完全な幸せに入るんですけれど、そのときは、もう悔い改める余地はないんです。もう遅いです。だから、いまのうちに、キリストの最初の到来から最後の到来まで、再臨までの間は、こういう悔い改めを告げる、御国の福音を宣べ伝える時代です。わたしたちが生きている時代。まずわたしたちはそれを受け入れて、主に従おうと回心の道を歩むように、そしてそれも皆に伝えるように呼ばれています。

 

その意味では、今週、わたしたちが祝っている「キリスト教一致祈祷週間」には、特別な意味があります。教会は、キリストのご計画の中で、キリストと一致して、互いに一致して、全人類に福音を宣べ伝えて広める役割を与えられています。でも、分裂が教会の中で起きてしまったんです。それもすでに初代教会であったんですけれど、きょうの第二朗読のパウロの手紙でその箇所が読まれます。それによって、教会の全人類に対する証しは弱くなったんです。互いに力を合わせず、ばらばらにキリストのことを伝えることによって、伝える力が弱まりました。

 

だから、この「キリスト教一致祈祷週間」では、教会が一致するように祈ります。それは勿論、教会そのもののためでもあるんですが、何よりも全人類のためです。全人類に御国の福音、喜びの知らせが届くように。皆が信じるように、救いにあずかるように、そのためにわたしたちは教会としてもっと一致するように呼ばれています。その一致の道は、わたしたち一人一人から始まります。わたしたちがキリストに近づいて、信仰の歩みをますます深めていくように。それはわたしたちの救いのためでもあるし、それだけではなく、全人類の救いのためになります。教会全体、一人一人がキリストに近づくと、皆でキリストに近づくなら、キリストのうちに一致がまた実現します。人間の力では無理です。キリストの力によって、この一致がまた実現して、キリストの力によって全人類が救われます。