教皇フランシスコ、一般謁見演説

識別の要素―自分を知ること

教皇フランシスコ、2022年10月5日一般謁見演説より

 

自分自身を知ることは難しいことではありませんが、骨の折れることです。忍耐力を要する自分探しといえるでしょう。それは、自分の行動とわたしたちの内にある感情に気づき、繰り返し湧いてきて、わたしたちに条件を課す、しかも大体の場合無意識に湧いてくる考えがあることを認識するために、立ち止まる能力、つまり「自動操縦を解除する」能力を必要とします。さらに、感情と霊的な能力を識別することが求められます。「感じる」ことは「確信している」こととは異なります。「したい気がする」ということは「欲しい」とは同じではありません。ですから、自分自身や現実に対する考えは、時として幾分歪められているものだと理解するようになります。このことに気づくことは恵みです。実際、非常に多くの場合、過去の経験に従って、現実に対する間違った確信は、わたしたちに強く影響し、人生の中でとても大切なことを求める自由を制限してしまうことがあります。

 

 

 

コンピューターの時代に生きているわたしたちは、もっとも個人的で、重要な情報が保管されているプログラムへ入るために、パスワードを知ることが、どれほど大切か分かっています。同様に、霊的生活にも「パスワード」があるのです。それらの言葉は、わたしたちのこころに触れるものです。というのも、そのことばはわたしたちがもっとも敏感なことに触れるものだからです。誘惑する者、つまり悪魔はそのキーワードをよく知っています。ですから、わたしたちもそのキーワードを知っていることは大切です。望まない状況に自分自身が置かれていると気づかないことがないように。誘惑は必ずしも悪いことを意味しませんが、しばしば過度に重要だと思いこませる場当たり的なものです。ここで、わたしたち一人ひとりの意図していることが分かります。最大の苦しみは、しばしばこの誤解から生まれます。というのも、これらはどれも、わたしたちの尊厳を保障するものとはなり得ないからです。

 

ですから、親愛なる兄弟姉妹の皆さん、わたしたち自身のことを知ること、わたしたちにとってもっとも感じとりやすい、こころのパスワードを知ることは重要です。わたしたちを操作しようと、もっともらしい言葉で近づいてくる人から自分を守るためにも、また、わたしたちにとって何が本当に大切なのかを理解するためにも重要です。大切なことを、一時的に華やかに見えるものや見せかけのスローガンと見分けることも大切です。わたしは自由でいるだろうか、それともその時の気分やその時の挑発に左右されていないだろうか。

 

祈りと自分を知ることによって、わたしたちは自由さを増していきます。自由さを増すのです。これらはキリスト者の存在の基本的な要素であり、人生の中で自分の居場所を見つけるための大切な要素です。