復活節第3主日 2022年5月1日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 5章27b~32、40b~41節

第2朗読 ヨハネの黙示録 5章11~14節

福音朗読 ヨハネによる福音書 21章1~19節

 

<お話の要約>

今回の朗読箇所は復活の力を示していると思われます。キリストの復活と聖霊の働きのことです。福音書で聖ペトロの姿は主に対する強い思いをよくあらわしています。聖ペトロの主に対する強い思い。船に乗って陸に近づいているのですが、主だと言われそれに気付いたら、船が陸につくまで待たないで湖に飛び込みます。一瞬でも早くキリストの元に行きたいのです。そういう思いがよくあらわれています。それは復活の力によるところです。第一朗読をみると、弟子達はキリストが十字架に架けられた時は怖くて逃げて隠れていたのですが、ここでは大胆に最高法院で面と向かってキリストのことを宣言しています。人間より神に従うべきです。あなたがたが木につけて殺したイエスを神さまは復活させられた。そして全ての人の救い主にした。最後にイエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んで出て行ったのです。辱めさえ喜ぶほど復活・聖霊の力がそこにあらわれています。

 

第二朗読の場面。それは天国での礼拝。何よりもの復活の勝利。その力・喜びがあらわれています。このことを理解するには経験も考えたらよいと思います。例えばみなさんは自然の風景の前に我を忘れるほど心を奪われて美しいと思った経験があるでしょうか。美しさの前には特別な喜びがあります。それは天国において主の前で礼拝し賛美する喜びと同じです。主は何よりも美しい方です。我を忘れるほど喜びに満ちて賛美するでしょう。また、人に本当に深く愛されてその深い喜びを感じた経験があるでしょうか。それもこれに通ずると思います。天国の礼拝はその両方です。神の美しさの前で賛美し、愛されたことを直接(今は間接的に感じている)感じて心を満たされて喜んで感謝する。だから主を礼拝することは何よりも喜びになるのです。それも復活の力のあらわれです。

 

主を愛して主を賛美することに憧れる人もいるかもしれません。最初の段階としては大切ですが、ただそれより先に行くには憧れから意欲に変わる必要があるのです。それは人間的にもあることです。もしピアニストに憧れたら、憧れだけの気持ちにとどまったらなかなか進みません。でも意欲が出て練習に励んだら夢を実現する可能性があります。憧れながら、実際にやってみると犠牲にすること難しいことを経験してそこで諦める人もいます。信仰生活にもそのようなことがあるのではないでしょうか。憧れても、努力してやってみてもなかなか自分が変わらないことを感じて諦める人もいます。主の復活は私たちに一つのメッセージを伝えます。「諦めないように。」私たちの力はたしかに限られています。でも主の力、復活されたキリストの力は限られていません。自分の力で自分を変えることはできないとしても、キリストの力で自分が変わる可能性がある。キリストご自身は私たちがご自分の愛をもっと深く悟って喜びを感じることを私たちよりずっとのぞんでおられます。そのためにキリストはこの世に生まれてそのために十字架に架けられてそのために復活されたのです。私たちはもっと深い愛と喜びの世界に入るために、神さまとの親しい交わりに入るために、力強い主が私たちを呼んでくれるから諦めてはならないのです。主の望みを考えたら私たちも自らそれを望むようになるのではないでしょうか。もっと意欲がでてきたらそこに近づくことになります。

 

復活の祝いにおいて示された主の愛とその愛の力をしっかり心にとめたらよいと思います。主は私たちにすべて一人残らず完全に終わりのない喜びに導き出したい。それは確実です。それを考えたら私たちは他のことよりそれを大事にすべきではないか。それこそ自分の生活の中に何よりも求めるべきことでしょう。私たちは自分の力に頼らないで主を求めて主の恵みを求めて主を求め続けることによって主ご自身が私たちを助けてくださいます。