典礼コーナー 4

―「感謝の典礼」について―

日本カトリック典礼委員長 白浜満司教(広島教区)

 

―新しい「ミサの式次第」の実施に向けて―カトリック新聞2022年2月27日号

 

<「感謝の典礼」における留意点>

 

・「感謝の典礼」は、キリストが主催した最後の晩餐において、「主ご自身が行い、そしてご自分の記念として行うよう弟子たちに託されたのと同一のことを、司祭が主イエスの代理として行う」という特徴があります。

 

・しかし同時に、洗礼に基づく祭司職にあずかる全ての「キリスト信者が…意識的に、敬虔に、行動的に聖なる行為に参加する」ため、特に司祭が中心になりがちな「感謝の典礼」において、「ともにささげる」という意識を大切にする必要があります。

 

式次第 現行『ミサ典礼書』 新しい「ミサの式次第と第一~第四奉献文」
奉納祈願への招きと応答 司:皆さん、このささげものを、全能の、神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。

司:皆さん、ともにささげるこのいけにえを、全能の父である神が受け入れてくださるよう祈りましょう。

会:神の栄光と賛美のため、またわたしたちと全教会のために、あなたの手を通しておささげするいけにえを、神が受け入れてくださいますように。

司祭の招きの新しい式文にみられる「ともにささげるこのいけにえ」という翻訳に留意し、司祭が一人でささげるのではなく、会衆も心を合わせて「ともにささげる」心構えを大切にしたいと思います。

叙唱前の対話句

司:主は皆さんとともに。

会:また司祭とともに。

司:心をこめて神を仰ぎ、

会:賛美と感謝をささげましょう。

司:主は皆さんとともに。

会:またあなたとともに。

司:心をこめて、会:神を仰ぎ、

司:賛美と感謝をささげましょう。

会:それは尊い大切な務め(です)。

司祭の「賛美と感謝をささげましょう」という呼びかけに対応して、会衆は「それは尊い大切な務めです」と答えます。これも司祭と会衆が「ともにささげる」というニュアンスが込められた対話句です。
感謝の賛歌

 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。

天のいと高きところにホザンナ。

ほむべきかな、主の名によりて来たる者。

天のいと高きところにホザンナ。

聖なる、聖なる、聖なる神、すべてを治める神なる主。

主の栄光は天地に満つ。

天には神にホザンナ。主の名によって来られるかたに賛美。

天には神にホザンナ。

文語体を口語化するに当たり、「天のいと高きところに」→「天には」に変更されます。今回は「いと高きところ」を示す同義語として、「天」という言葉だけを残しました。これによって、主の祈りの「天におられるわたしたちの父よ」、栄光の賛歌の「天には神に栄光」、感謝の賛歌の「天地に満つ」・「天には神にホザンナ」など表現の一体性が整えられた形になっています。
記念唱

司:信仰の神秘。

会:主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。(または)

会:主の死を仰ぎ、復活をたたえ、告げ知らせよう、主が来られるまで。

司:信仰の神秘。

会:主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られるときまで。

この応唱は、父である神に向けられたものではなく、ミサで聖別されたパンとぶどう酒に現存される主イエスに対して向けられた賛美の言葉です。主の十字架上の死を思いながら、同時に主の復活・再臨の神秘が祝われていることにも留意する必要があります。聖体には人類のために死んで復活された主イエスが現存され、また聖体拝領は主の再臨の前触れです。
拝領前の信仰告白

司:神の小羊の食卓に招かれた者は幸い。

会:主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、 あなたをおいてだれのところに行きましょう。

司:世の罪を取り除く神の小羊。神の小羊の食卓に招かれた人は幸い。

会:主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。おことばをいただくだけで救われます。

(または)

会:主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう。

 
「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしい者ではありません。おことばをいただくだけで救われます」―この百人隊長の謙虚な告白には、神のことばの食卓にあずかっただけでも計り知れない恵みなのに、聖体拝領によってご自分を与えてくださる主のいつくしみへの信頼の余韻が感じられます。