主の公現 2022年1月2日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 60章1~6節

第2朗読 エフェソの信徒への手紙 3章2,3b,5~6節

福音朗読 マタイによる福音書 2章1~12節

 

お話の要約

今日の主の公現の祝いは、ここに置かれている馬小屋にもちゃんと再現されています。公現という言葉は「公に現す」と書きます。そしてその意味は、今日の集会祈願で説明されています。「すべての民の光である父よ、あなたはこの日、星の導きによって御ひとり子を諸国の民に示されました。」この諸国の民の代表者が学者たちです。その意味でも、このわたしたちが特に祝うべき日だと思います。

 

聖パウロが説明しているように、もともとはメシア、救い主はユダヤ人に約束されました。ユダヤ民族は主なる神に選ばれた民族として、色々救って頂いて、たくさん恵みも戴いて、預言者も送られて救い主の到来を告げました。ダビデの子孫としてのユダヤ人の受け止め方は、ユダヤ民族の救いのため。でも、聖パウロが説明しているように、神様には秘められた計画がありました。確かに、ユダヤ人に生まれたキリストはユダヤ人のメシアだったけれど、それだけではなく全人類のための救い主でもありました。その秘められた計画は、ユダヤ人だけではなくそれ以外のすべての民族もユダヤ人に与えられた約束に与って、ユダヤ人を通して与えられた救いに与ることができるように。それは主の秘められたご計画です。そのことが今、明らかにされたのです。でも、ここにいる人は誰一人としてユダヤ人に生まれた人はいないので、もとの考えでは救いの対象にならなかったはずですが、主が秘められた計画を示されたことで、わたしたちも救いに与ることになるのです。その意味で、わたしたちも特に祝うべき日の一つだと思います。

 

実際に歴史を通して見れば、それはもう実現したのです。長い間キリストの福音は、主にヨーロッパで知られて信じられ、特に16世紀からは世界中に伝えられて、現在は世界のどこに行ってもキリストを信じる人はいます。日本のように少人数でもいます。その意味では、すべての民族が既に教会に入ってキリストの救いに与っているのです。その最初の代表者がそこまで成長したんです。それはまた、教会の指導にも見られます。たとえば、長い間教皇はイタリア人でした。でも、ヨハネパウロ2世はポーランド人、ベネデイクト16世はドイツ人、現在のフランシスコ教皇はアルゼンチン人です。こうしてもっと広がっていることは、その形にも表れています。枢機卿の顧問のような教皇に近い人々も、以前はほとんどがイタリア人でしたが、今は全世界から来るようになりました。特にフランシスコ教皇はそのことを大事にされて、今まで枢機卿の出なかったミャンマーとかフィジーからも今は枢機卿が選ばれています。

 

この話のもう一つの側面は、キリストは世の光として救い主として表れたことです。でも反対もされて、その後はユダヤ人の指導者によって迫害され殺されてしまいました。そしてこの兆しは、もっと幼い時から見られたのです。東の方から学者たちが拝みに来たとき、ヘロデはそれを警戒し自分が脅かされるような思いになって、子供を殺そうと思った。それはキリストご自身のことですが、後の歴史を見れば初代教会もずっと迫害されて、最初の3百年位キリスト教はローマ帝国で迫害されたんです。他の所に福音が伝えられた時にもよく迫害に合い、アジアに伝えられたときも、日本、ベトナム、中国、朝鮮半島…次々と伝えられては迫害されたという経緯があるのです。それはキリスト教の一つの特徴だと思います。他の宗教で広まったものとして仏教やイスラム教がありますが、広がる段階でキリスト教ほど迫害されたことはないと思います。

 

では、なぜそうなるのか。それは聖ヨハネが聖書の他のところでも説明しているように、光がこの世に来られたのに、その光を憎む人もいる。特に自分の行いが悪いから、その行いを見られることを嫌がってその光を憎んで、そこから迫害も生まれます。でも、これは本当の救いを示してもいる。なぜなら、光は皆に呼ばれています。光は人間の救い、人間を照らし人間の真実を示す光です。人間の心を照らして平和を与える光です。そしてそれが本当の光だということは、反対され迫害されることによって証明されます。そこまでの力がなかったら、そこまでの反対もなかったのです。今日の祝いの幼子イエズスの内に、その将来のことも既に示されています。

 

今日の集会祈願に、わたしたちに対する教訓も示されています。「信仰の光によって歩むわたしたちを、あなたの顔を仰ぎ見る日まで導いてください。」教会はこうして主の救いが示されたことを祝いながら、この願いを込めて今日の日を祝います。