聖母の被昇天 2021年8月15日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ヨハネの黙示録 11章19a、12章1~6、10ab節

第2朗読 コリントの信徒への手紙一 15章20~27a節

福音朗読 ルカによる福音書 1章39~56節

 

<お話の要約>

今日は年間の主日の代わりに、聖母の被昇天という祝日です。この祝いの意味は、集会祈願でよく記されていると思います。

 

「全能永遠の神よ、あなたは御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように。」

 

まず祝っている神秘そのものは、ここにあるように、主は聖母マリアをからだも魂もともに天の栄光に上げられたことです。その意味では聖母の被昇天は、聖母の復活とよんでもいいです。そのことは特に、第二朗読で聖パウロが説明しています。キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。聖書と典礼の注釈に初穂という言葉の説明もあります。

 

「最初の実りのことであり、そのあとに多くの実りが続くことを表す言葉。」 一番最初はキリストです。そのあとに続きます。でもキリストは最初だけではなくて、他の人の復活の原因でもあります。それも聖パウロは説明しています。「キリストによって全ての人が生かされることになるのです。復活することです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。」そこも注釈があります。キリストに属している人たち、この第一人者であるマリアがキリストの復活に完全にあずかるものとなったと教会は信じています。それは、今日祝っている聖母マリアに対する神秘、主の大きなみわざです。主は偉大なことを私のためになさいましたと、福音書でマリアはそのことを前もって祝っているのです。

 

集会祈願では私たちに対する意味も表しています。

「信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」

結局、主イエズスの復活は私たちの希望の大もとです。その希望をもっと強くするために、聖母マリアも真っ先に主の復活にあずかったわけです。本人に対する主の望みでもありましたが、私たちのためでもあります。私たちをさらに励ますために、さらに信じる民がいつも天の国を求めるように。というのは、人間は、人生の間に様々なことを求めます。どっちかというと、おもに、この世のものを求めています。安定した生活、幸せな生活、健康などいろいろなことを求めます。でも、信じる民の場合はそれを超えて、まず天の国を求めるべきです。聖母マリアが天に上げられたことは私たちのことを、私たちに教えています。それは私たちの目的です。旅する教会として、天の国に向かって旅しています。信仰は確かに、歩み、旅です。散歩ではなく、ちゃんと目的があります。そのことは、人が天の国のために生きる民なら、この世の生活ももっと恵みに満ちたものに、完成したものになるのです。

 

この世のものばかりのために生きるなら、それはもっと限られたものです。天の国をまず求めるなら、この世の生活ももっと良いものになる、そういうところもあります。聖母マリアとともに永遠の喜びに入ることができますように。

 

人間は自然に幸せを求めています。第一に求めているところだと思います。様々なものに幸せを求めています。でもこの世のものを求めている限り、完全な幸せ、完全な喜びは手に入らないのです。この世の喜び、幸せは確かにあるのです。特に人が恵まれたら、例えば、幸せな家庭に育ったら幸せな子供時代になります。また、不幸な人もいます。でも中には、良い友達ができたら、良い経験、良い仕事についたら、良い結婚ができたら、自分も幸せな家庭を持てるなど、様々な幸せと喜びあります。でも、全部限られています。全部、永遠には続かないです。いくら大切な人に出会ってもいずれ死に別れます。悲しいこともあります。病気になったり、いろいろなことがあります。決して永遠の喜びはないです。永遠の喜びは天の国にあります。人間は、多くの場合は意識しなくても、それこそを求めているのです。幸せになりたい。人間はその幸せが終わってほしくないのです。ずっと続いて欲しいのです。半分とか限られた幸せではなくて、完全に幸せになりたい。それは、人間の望みを極めるとわかることです。人間の望むことは大きいです。この世のあらゆる喜びはそれを満たすことはできないです。この世の間にいただいた喜びは、確かに主に大いに感謝すべきところです。ただ、そこに心をとめてはいけない。主にいただいた恵み、喜びを感謝しながら、旅を続けて、主の恵みによって先に天に上げられた聖母マリアの見守りと助けによって、聖母マリアが主イエスによって、天の国、終わりのない完全な永遠の喜びに入ったように。私たちも天の国、永遠の喜びに入るように。そういう願いを込めて、今日は、教会は聖母マリアのことを祝って、神を賛美しています。