四旬節第5主日 2020年3月29日

第1朗読 エゼキエル書 37章12~14節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章8~11節

福音朗読 ヨハネによる福音書 11章1~45節

 

朗読箇所のテキスト(女子パウロ会公式サイト) 

 

<お話の要約>

また動画の発信を続けます。今回は四旬節第5主日になります。ヨハネによる福音の一つの特徴は、「奇跡」は普通は力の技と呼ばれていますが、ヨハネはそれを「しるし」と呼んでいます。というのは、ヨハネは特にキリストの行なわれた奇跡の意味を強調したいわけです。今日の福音書は、イエスの一つの奇跡、ラザロを生き返らせ蘇らせた奇跡について語っています。

 

ラザロは亡くなって4日も経っていたのに、蘇らせ生き返らせた。それはキリストご自身の復活のことも指している。マルタに説明している通り、「わたしは復活であり、命である。」それはこの奇跡の大事な意味。教会としてはこの奇跡に他の意味もみているが、それは二段階に分かれている。黙示録に書かれているように、第一の死と第二の死、第一の復活と第二の復活と表現する。第一の復活というのは、人間が罪によって死んだ状態から恵みによって生き返らせていただくことで、キリストを信じて洗礼を受けることも一つの復活。そのあとの第一の死は肉体的な体の死のこと。第二の復活は、世の終わりにキリストに救われた者が復活するということ。第二の死は、永遠の命に入らないで最後の審判で地獄に落ちる人のこと。第二の復活と死は将来のことだが、私たちは恵みにとどまったら第二の復活に与ることになる。

 

この奇跡は今の私たちに一つの大事な教訓を与えている。キリストはラザロを生き返らせる時、まず御父に祈ったあとでラザロに向かって言われた。「出てきなさい」と。キリストは私たち一人一人にも言われている。私たちはラザロのように墓に入ってはいないけれど、精神的な意味で。「出てきなさい、あなたのわがままから。出てきなさい、あなたの自己中心的なところから。出てきなさい、あなたの不安と悩みから」。そういう言葉を主は私たちにもかけておられる。

 

そこには、もしかしたらマリア幼稚園のお母さんたちのような反応があるかもしれない。園長先生がお母さんたちに子育ての助言とか励ましの言葉をかけると、「わかってはいるけれどできない」という応えが返ってくる。葛藤している心は信仰の話も同じ。頭では賛成していても実際は簡単ではないと感じているかもしれない。ここでのもうひとつのポイントは、「ラザロ、出てきなさい」と言われたのはキリストだということ。他の人とは違って、キリストの言葉であること。それも勧めの言葉ではなくて、力の言葉を私たちに与える。

 

自分の力でできないことは主の力でできる。でもその前提として、私たちは主の力を求めているか、信じているか、信仰が試されるところ。マルタは信じますと言ったけれど、石を取り除きなさいと言われたら、もう匂いますと言ってイエスを信じなかった。

 

私たちも墓のような所にいて、どこまで信じるのか問われています。聖パウロは、「今、私たちは霊の支配下にいる。聖霊が与えられている」と言っています。それも一つ重要なところ。私たちはこの四旬節の歩みの中で、キリストの力強い言葉、聖霊の助けを、もっと強く深く信じるように呼ばれているのです。