横浜教区第六地区では、既に十数年前から定期的に集会祭儀が行われているそうです。第五地区では、現在8名の司祭がおられ、そのうち4名が75歳以上という現状です。
マルコ神父様のお考えとしては、第六地区のように定期的ではなくとも将来の為にも、集会祭儀という礼拝の仕方を皆で経験を積んでおくことが望ましいとのことです。大船教会では2019年に一度集会祭儀が行われ、この度二度目の集会祭儀を行うこととなりました。
これを機会にもう一度、主日のミサの意義を振り返り、集会祭儀のあり方を学びながら共同体としてともに集い、信徒による集会祭儀を行いましょう。
<以下、「司祭不在のときの主日の集会祭儀・試用版」カトリック中央協議会発行より抜粋>
主日の重要性
「教会は、キリストの復活の日に起源をもつ使徒の伝承により、過越しの神秘を八日目ごとに祝う。この日はそれゆえにこそ、主の日すなわち主日と呼ばれている。」
「この日、キリスト信者は一つに集まらなければならない。それは、神のことばを聞き、感謝の祭儀に参加して、主イエスの受難と復活と栄光を記念し、彼らを『新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えて』(ペトロ1-3)」くださる神に感謝をささげるためである。」「この集会は神によって呼び集められた神の民の集いであり、キリストの代理者である司祭が主宰する。」
司祭不在のときの主日の集会祭儀
主日の集会祭儀は、たとえ司祭が不在であっても、神のことばを聴き、すべての人のために心をあわせて祈り、神の愛を証しするために集まり、共同体として『真の兄弟愛と聖霊の導きのもとに霊的に強められる』祭儀です。
主日に感謝の祭儀を捧げることができない場合の補助的な祭儀ですが、主日の集会が「交わりの神秘のしるし」となり、また「司祭を待ちながら、感謝の祭儀に与る願望を信者のうちに強める」ことが望まれます。
(感謝の祭儀・奉献は、司祭のみが行うことのできる祭儀です。)