典礼コーナー 8

―「会衆」―

日本カトリック典礼委員会 櫻井尚明神父(福岡教区)

―新しい「ミサの式次第」の実施に向けて―より

<はじめに>

今回のミサの式次第の変更箇所の中で、会衆のことばや動作の変更や、あるいは会衆のために行う新しいことがあります。これらは、司式者と会衆が一つになって共同体としてのミサをささげるための変更です。

 

<会衆も司式者とともに>

第2バチカン公会議前と後の大きな違いの一つは、公会議前のものには全くと言っていいほどなかった会衆についての指示が、公会議後のものには数多く見られることです。それだけミサの祭儀において、司祭だけでなく会衆の役割が大切なものとして考えられるようになったのです。

 

会衆がミサの祭儀に参加するとき、恵みを受けるためだけにそこにいるのではなく、司式者とともに行動するためにそこにいるのです。こうして、共同体としてささげるミサの祭儀が実現するのです。

 

<対話句>

共同体としてささげるミサの祭儀のために、大切な役割を果たすのが「対話句」です。今回の変更では次の対話句が大きな変更になっています。

 

①「(司式者)主は皆さんとともに。(会衆)またあなたとともに」。

この対話句では、ミサの集まった会衆の中にイエスが共にいてくださることを思い起こすために、司式者は会衆に「主は皆さんとともに」と呼びかけます。それに対して、会衆は司式者にも同じイエスが働いているという意味を込めて、「またあなたとともに」と応えます。この対話句は同じイエスによって一つになっている共同体を表現し、また確認しているのです。

 

②「叙唱前の対話句」

今回の変更で規範版のように三つの対話句に戻りました。

 

(1)「(司式者)主は皆さんとともに。(会衆)またあなたとともに」

(2)「(司式者)心をこめて、(会衆)神を仰ぎ」

(3)「(司式者)賛美と感謝をささげましょう。(会衆)それは尊い大切な務め(です)」。

 

このように、司式者と会衆の一致が、まず一致の確認、そして招きと賛同という対話で作り上げられ、大切な奉献文の祈りに入っていくのです。今回の変更で、対話句が一つ増えることによって、一つになるためのより大きな力を感じることができるようになりました。

 

<会衆のための祈り>

ミサの式次第には補遺として、多くの「会衆のための祈り」が載せられています。それはミサや他の典礼の結びの祝福の前に、司祭が任意で用いることができる祈りです。ただ、特定の日や機会のミサの祭儀のためのものではなく、一般的な祈りです。

 

<終わりに>

「教会がミサの祭儀をささげ、ミサの祭儀が教会を作る」と言われます。神と人間との一致、人間同士の一致のしるしであり道具である教会は、この共同体としてささげるミサの祭儀から大きな力を得ています。

 

<動作や所作>

総則(42)では「司祭と助祭と奉仕者の動作と姿勢、あるいは会衆の動作と姿勢」について「個人の好みや自由裁量」に優先させ「共通の姿勢を守る」ことが勧められています。それは「キリスト者共同体の成員の一致のしるし」だからだと、その理由が述べられています。その論拠となる『典礼憲章』(26項)では「典礼行為は個人的な行為ではなく、教会の祭儀である。教会は『一致の秘跡』、すなわち司教たちのもとに一つに集められ秩序づけられた聖なる民だからである」と言われています。特に司式者である司祭は、ミサにおけるキリストの秘跡的現存を可能にする役割を担っていることを意識しなければなりません。

※ <手の所作>、<パンとぶどう酒に関する所作>、<礼の仕方>、<式文の唱え方>は省略

 

<沈黙の重要性について>

かねてより日本では沈黙が大切にされてきました。『典礼憲章』(30項)では「しかるべきときには、聖なる沈黙を守らなければならない」とあります。これを受けて総則(45)では「聖なる沈黙も、祭儀の一部として、守るべきときに守らなければならない」とあります。さらに総則はミサの中でのそれぞれの場合を列挙し、「回心の祈りのときと祈願への招きの後には各人は自己に心を向ける」、「聖書朗読または説教の後には、聞いたことを短く黙想する」、「拝領後には、心の中で神を賛美して祈る」ようにと勧めています。第一あるいは第二も含めて朗読後の沈黙は、日本では任意ではなく適応として必ずとることになっています。

 

<終わりに>

司式者としての司祭の奉仕職は、神の民一同の共通祭司職への奉仕であると同時に大祭司キリストの祭司職への奉仕でもあります。二重の意味での奉仕職が司祭の役務的祭司職です。この奉仕を誠実に果たすために司式者である司祭は、常に「自己流のミサの司式になっていませんか?」と自らに問わなければならないでしょう。