年間第14主日 2022年7月3日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 66章10~14c節

第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 6章14~18節

 

福音朗読 ルカによる福音書 10章1~12、17~20節

 

 

<お話の要約>

今日の福音の箇所は先週の続きです。ここでキリストは、弟子たち72人を派遣します。自分が行くつもりの村や町に、二人ずつ組にして派遣されたのです。それは私たちにはあまり関係がないように感じますが、実はそうではなく、ごミサのことも考えたら意味があるのす。ご存知のように、今度の待降節から典礼の新しい翻訳を使うようになります。その準備として、ミサそのものの意味を深めようという動きもあります。これを機会に、今日の箇所はごミサの説明にしたいと思います。

 

ごミサのリズムは生活の区切りになるはずです。前回のミサへの参加、通常の状態だったら毎週のミサへの参加で、前のミサに参加した時からの生活そのものを、次のミサに参加する時に持ってきて、キリストの奉献と一緒に捧げて、キリストから恵みを戴いて、み言葉による導きとご聖体による力、戴いた恵みを持ってまた生活に派遣されます。「感謝の祭儀を終わります。行きましょう。主の平和のうちに」というミサの最後の言葉は、派遣の言葉だと言われています。そこで戴いた恵みを生かして、次の週、次の生活に生かして、その中でキリストを証しするように私たちは呼ばれています。

 

このことを考えたら、今日の箇所は私たちにも当てはまります。少し一緒に考えてみたいと思います。一つは、二人一組にして遣わされたということ。ここではやはり他の人の支え、特に信仰共同体の大切さが示されていると思います。キリストを証しするために。ある人は家族の中に信者がいるけれど、そうではない人もかなりいると思います。自分だけが信者である場合はなおさらのことだと思います。ミサの参加はその意味もあるのです。というのは、今の日本の社会のようにキリスト者がすごく少ない中で、他のキリスト者と一緒に集まって、一緒に祈って一緒に神を賛美して恵みを戴かなければ、キリスト者としてはなかなか生きていけないと思います。そういう互いの支えはすごく大切です。

 

働き手を送ってくださるように、まあそれも確かに祈るべきです。でも、それは司祭やシスターだけではなく、洗礼によって全ての信者はキリストを証しするように呼ばれているから、全員が証しすることができるように、私たちもその意味での働き手になるように祈るべきだと思います。それもごミサのもう一つの意味です。生活を持ってきて捧げて、必要な恵みを戴いてまた生活に派遣される、そういう流れの中で私たちはもっとキリストを証しするようになります。

 

次にキリストは、「狼の群れに小羊を送りこむようなもの」、または「財布も袋も履物も持って行くな」と言われます。つまり無防備の状態です。どうして主はそこまで求めるのかというと、私たちが主に頼るようにということを目指しているのです。全部準備できたら、充分な財産もあるし自分を守る覚悟も全部できたら、主に頼らなくてもいい、自分の力で全てできます。でも、無防備というのはそこです。主に頼るように、主に守っていただく、主に支えていただくこと、主に信頼して身を委ねて生活を送るようにと。もちろん生活のために働くことも大事だし、色々なことを自分でもしますが、ただ、それに頼らないように、主ご自身に頼るように呼ばれています。特にキリストを証しすることに関しては、なおさらのことだと思います。自分の力だけ考えたらそこまでいかない、やろうとしない。でも、まずキリストを証しするときは、自分はどういう風に生活しているか、それが第一だと思います。そうすると、主は私たちを支えてくださるのです。平和を与えてくださるのです。そして、助ける人も送ってくださるのです。色々な面で主が計らってくださるのです。

 

主を証しすることは、生活そのものを通してなされます。普通の生活をキリスト者らしく送るなら、それ自体がよい証し、何よりも大切な証しになると思います。キリストについて話す機会があればそれも大切ですが、それもある意味では無防備なところもある。前もってどう言ったらいいか色々悩むなら、あまりうまくいかないと思います。でも、主を求めて祈りの内に生活しているなら、必要に応じて主ご自身が言葉も与えてくださるのです。そしてそれは、私たちがそのような心を持っているかどうかによるのです。

 

その意味で今日の福音の箇所は、特に私たちがミサに来たらそこで何がなされているかを理解するためになると思います。生活を持ってきて、その生活の中で戴いた恵みに感謝して、その中で犯した罪のゆるしを願って、必要な導きを願って、主の恵みと祝福を願って、主に感謝して賛美するために、自分の苦しみもキリストの苦しみと合わせて捧げて、主から恵みを戴いて、特にみ言葉による導きとご聖体による力を戴いて、そこから派遣されて生活の中でまたキリストを証ししていくように…。私たちも置かれた環境の中でそうするように呼ばれています。