主の昇天 2022年5月29日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 使徒言行録 1章1~11節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 9章24~28節、10章19~23節

福音朗読 ルカによる福音書 24章46~53節

 

<お話の要約>

今日の祝いの主の昇天は、復活節の中の神秘の一つの側面です。

私たちが祝っている神秘、主の受難、復活、昇天、聖霊降臨は、ひとつのものです。ただ、あまりにも偉大な神秘だから、教会として分けて少しずつ祝うことによって意味を深めることができます。主の昇天を主のご復活の神秘のうちに考えたらもっと意味がわかると思います。

 

今日の集会祈願では、「全能の神よ、あなたは御ひとり子イエスを、苦しみと死を通して栄光に高め、新しい天と地を開いてくださいました。主の昇天に、私たちの未来の姿が示されています。」とあります。言い換えれば、キリストは受難によって、私たちの罪のゆるしを与えてくださった。復活によって新しい命、死を超える命を与えてくださった。そして、昇天によって新しい道、天の国に通じる道、天と地に通じる道を開いてくださった、となるでしょう。今日の第二朗読でも、そのことにふれています。キリストは、昇天を通して、「御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」となっています。神の前に通じる道です。それだけではなく、集会祈願にあるように、主の昇天に、わたしたちの未来の姿が示されたのです。主ご自身が栄光に高められたように、主の望みはわたしたちも栄光に高めたいということです。そのために主が開いてくださった道は一方通行ではないのです。この世から主なる神の元へ通じる道は、両方から通じます。主なる神の元に通じる道でありながら、主なる神の元から私たちのところに来る道でもあるのです。主の元から来るのは特に聖霊です。キリストは最後の晩餐で、弟子たちに、自分が去っていくことは、わたしたちのためになる。そうでなければ聖霊が来ないと言われました。昇天によって主は、父なる神の元に開かれた道、私たちが歩んでたどり着く道を開かれたと同時に、それによって聖霊がわたしたちの上に降る道も開いてくださったのです。聖霊が降らなければ私たちはその道を歩む力、知恵を持っていないのです。

 

聖霊はもちろん世の初めからすでに働いておられます。創世記には、主の霊が水の上を動いていたと書いてあります。創造の時から主の霊が働いています。どちらかといえば、旧約時代は御父のことを人に伝える役割です。でも新約時代は、聖霊は新たに来られます。新しい形、新しい聖霊の到来です。新しいキリストのものを持ってきます。キリストが説明しているように聖霊はご自分のものを受けて、わたしたちに伝えることになります。昇天はわたしたちの励ましになります。主が道を備えてくださって、聖霊が降る道も開いてくださって、聖霊の力と知恵で、私たちがその道を歩めるようにしてくださったことは、大きな励ましです。それによって私たちは力強く信仰の歩みを続けることができます。そのためには、わたしたちが聖霊を受け入れる必要があります。

 

今日のところで、キリストは弟子たちに聖霊を待ちなさいと話しています。その聖霊を受けたら力を受けると。それはわたしたちにも約束されたことです。まず力を受けることによって、成長して自分が変わります。深い信仰、もっと深い愛になります。そこでは、変わりたいか?という問いかけがあると思います。変わりたいと言っても、自分が変われると信じるか?世間で言われる自信は、教会の概念とは少し違います。自分を信じて自分にその能力があると、自己肯定することは、精神的、心理学的には大事でしょうけれども、信仰においてはものたりません。信仰は違う次元です。キリストが教えている道は、人間の思いと力で歩める道ではないのです。そこでは、まず、信仰の働きがあるのです。キリストが私を変えるほどの力を持っていると信じるかどうか?そして実際に私は変わりたいと思っているかどうか?この二点は特に大きいと思います。それをキリストが聖霊を遣わして、私にできるようにしてくださると信じるなら、私は変わりたい、成長したいと望むなら、やはり心から聖霊、主の恵みを求めて、主に心を開いて、そうして主の恵みによって実際に変わります。