年間第33主日 2021年11月14日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 ダニエル書 12章1~3節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 10章11~14、18節

福音朗読 マルコによる福音書 13章24~32節

 

お話の要約

今回の福音書はキリストの世の終わりについての教えです。キリストの全体の動きから始まります。この「聖書と典礼」の注釈によれば「太陽は暗くなり…とは預言者イザヤ13.10などにも見られる神の裁きの到来を現わす表現」と書かれています。それを文字通りに受け取めたら良いのかという質問もあるでしょう。それに関して一つ思い出されるは、1917年のファチマの聖母の最後の出現のとき太陽の奇跡が起きました。太陽が動くのを7万人の人が目撃したので、当時の新聞にも載りました。太陽が動いて地球に近づき、その時まで雨に濡れていた地面も衣服もすっかり乾いてしまいました。このように大きな奇跡がすでに起きていますから、これは世の終わりにもこのような表現も文字通取りになるかもしれません。いずれにしてもここに記されている最後の世の終わりのことはただこわいというだけにしてしまったら、そこにある大事なメッセージを捉えにくくなります。私たちにとってキリストがおっしゃることはすべて大切です。

 

そこで今日の箇所をどのようにとらえたらよいかと言うことになります。聖書に沿って読むと、一つにはメッセージは、人間的な思いと主なる神の思いとは違うということです。人間的には世の変化、動きなどは、例えば政治的な動きや世界的には大国間の対立や経済的発展、科学の技術的な進歩発展などによって世の中が動いていると多くの人は考えています。そういう面もありますが聖書、キリストの言葉から見ればそういうものは決定的ではありません。人類の将来、歴史の終末から見ればそれほど大したことではありません。経済もいずれ終わります。科学も技術も終わります。大国もなくなります。残っている国は神の国だけです。

 

信仰の視点から見れば人類の歴史を一番動かしているのは善悪の戦いです。人がどれほど良い心で、または悪い心で生活したか、それが何よりもの基本的な歴史、人類の歴史です。キリストの再び来られるとそれがキリストの裁きです。政治や経済や科学は裁きに入りません。善悪のみ裁かれます。

 

今日の箇所に「人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によってえらばれた人たちを四方から呼び集める」とあるように、キリストを信じ、従った人たちをあらゆる困難から最終的にキリストが救い出します。最後にキリストはあらゆる悪の力を完全に滅ぼします。キリストの到来からくる新しい天と地には悪は全然残りません。まったくの愛と平和と喜びの世界になります。それが人類が歩んでいくところ、終末です。人間が考えている終末ではありません。

 

今、私たちはどう生きるか。現代は、前向きに生きるよう、プラス思考で生きるようにと言うことが強調されています。それは人間的にも心理的にも科学的にも大切です。それなら信仰においてこそこれを実行できるのです。プラス思考と言うと、人は大体自分の将来について良いことを希望して進めるという思いがありますが、キリスト者としては、人類全体が最終的にキリストによって新しい世界が創造されるということを確実に信じている人にとってこれ以上のプラス思考はあり得ません。将来は明るいと決まっています。人類全体の将来がそうなるのであるなら、そして自分の将来もそうなる。キリストと共に歩んでいくなら、キリストが現れる時、主ご自身が選ばれた者として自分たちも呼び集められます。これこそ前向きな生き方です。

 

これが前向きということにつながりますが、前向きにといえば、一つは現代社会はすごく動きが激しく、その変化の速度も増しています。困難に陥りやすい。その中で人は変わらないものを求めています。それがあればもっと前向きに歩むことができます。キリストは「天地は滅びるが私の言は決して滅びない」と言われます。この主の言葉は私たちのよりどころです。激しく変化する中で変わらないもの、支えになります。キリストはほかの所でご自分の言葉を守る人のことを指しています。自分の家を建てる人の事です。そういう人の家はこの世の嵐がどんなに激しくても倒れない。しっかり家が建っている、と述べておられます。キリストの言葉は永遠です。これが私たちのよりどころ逃れ場です。世の終わりの描写はこわがらせるよりも此の現代社会でどのように生きるか、と言う大切な教えを伝えています。