年間第31主日 2021年10月31日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 申命記 6章2~6節

第2朗読 ヘブライ人への手紙 7章23~28節

福音朗読 マルコによる福音書 12章28b~34節

 

お話の要約

みなさん、こんにちは。今回の福音書は特に有名なところです。主キリストが教えている愛の掟、「神を愛して隣人を愛しなさい。」この言葉のきっかけは、ある律法学者達がたずねたことからです。「あらゆる掟の中でどれが第一でしょうか。」それは当時のユダヤ人の中で論じられていました。律法学者たちはモーゼの律法を研究して掟を数え上げて、なんと63個も並べたのです。それだけ数多い掟の中で、どれが第一でしょうか。そういう議論もあったそうです。

 

キリストの答えは第一も教えるのですが、第2までも教えます。実は第1も第2も愛の掟としては表裏一体です。聖ヨハネも説明しているとおり、神を愛しているといいながら、他の人を愛さない人はうそつき、偽り者です。反面、本当の深い意味での人を愛することは、神さまの愛に基づいている時だと思います。表裏一体といいながら、違いもあります。順序もあるし、違いもあります。例えば第1朗読にあるように主なる神を愛するときは、心をつくして精神をつくし思いをつくし力をつくして愛しなさい。でも隣人の場合はそこまで言わない。自分のように愛しなさい。そこは次元がはっきり違うのです。当然のことだと思います。人間同士の愛としては、被造物どうしの愛です。でも人間と主なる神の愛は創造主と被造物の間の愛です。そして私たちは創造主に創られて、創造主のために、特に主なる神との親しい愛の交わりのために創られたです。ですから愛することは私たちの生きがいだけではなく、私たちの存在そのものの目的です。本当の愛することを覚えないことは、自分の存在自体を無駄なものにしてしまうのです。

 

その愛はどういうものか、四つの言葉でキリストはあらわしています。心をつくして精神をつくして思いをつくして力をつくす。心を尽くすといえば、心から心をこめている愛です。または、進んで自ら自由に愛することがそこには含まれています。強制されたのではなく義務だからではなく、進んで自由に主を愛することです。思いをつくしてとは熱い思い、強い思いという表現もあるように。または好きな人がいれば、その人のことをよく考えてこの人のために何かできるでしょうかと、自分に問いかけたり、どうやってその人に近づいてもっと親しくつきあうことができるかいろいろ考えます。そういう思いも主なる神に向けて、どうやってもっと神さまと親しく交わることができるか、それをよく考えることは、愛のあらわれです。力をつくしてとはそれは精一杯、本気になって、適当ではなく、力を入れて、気力ということも入ると思います。精神をつくしてというのは、幅広いと思います。精神といえば、思いも心も気力もそこに入ると思います。ここで精神と訳されたもとの言葉は人間の欲求、憧れ、望み、情熱、その心をさしています。望み、憧れ、情熱も主なる神に向けて、主の愛することを求められています。

 

私たちはみな、この言葉を完全には実行していません。どうやってもっと主の言葉に応えるか自分に問いかける。人間は誰でも、必然的に自分の幸せを求める。ただ自分は幸せをどこにだれに求めているのか。それは重要な問いかけです。というのは主の掟を守ることだけなら自分の幸せを主なる神との関係に求めることをさしています。そこで一つの信仰、確信が必要です。人間はあらゆるものや人に幸せを求めるのです。でもそういうところに求めると決して終わりのない完全な幸せにならない。本当に主の言葉を信じるなら、やはり私は人間として神さまとの親しい愛の交わりのうちに、自分の終わりのない完全な幸せを見いだすのです。そういう確信をもっているなら、もっと進んで神さまとどうやってもっと親しくなれるか、どうやってもっと愛を深く知って、心から進んで愛することができるか。もっと考えて求めるようになります。でも実はもっと考えて求めるようになるならそれ自体が神をもっと愛するようになる第一歩となります。すでにもっと神を愛しているあらわれです。だれか言ったように愛の反対は憎しみより無関心。その意味からも主を求めて主のうちに幸せを求めることは、それも主の言葉にこたえることになります。