「幼な子のように」

10月は幼いイエズスの聖テレサの記念日で始まります。この間聖テレサの「自叙伝」をもらったので、もう一度読みました。実は大学生の時に「自叙伝」を初めて読みましたが、とても印象的でした。宣教師になろうと思っていた私にとっては聖テレサの主イエズスへの熱烈な愛が心に響いて憧れになりました。今思うと私の考えにも大きな影響を与えました。

 

聖書の中で聖ヨハネが断言している「神は愛です」という言葉は、聖書全体とカトリック神学全体の何よりもの解釈のカギだと確信しています。そこでは、ひた向きに主イエズスの愛に応えようとする聖テレサの姿が私の心を動かしたと言えると思います。今回読んだら改めて聖テレサの主イエズスへの熱烈な愛が心に響きましたが、もう一つの感動がありました。私は確かに大学時代に比べたら人間的にも霊的にも成長してきましたが、67歳になっている私は、人生最後の年が24歳だった聖テレサに比べたら、まだまだ未熟です。聖テレサは主の恵みによって、霊的な天才児とされたのでした。

 

教会の中で聖人と認められる人々はキリスト者の総数に比べたら非常に少ないですが、聖テレサは聖人の中でも稀に現れる偉大な聖人です。だからと言って私たちからほど遠い存在ではないです。むしろ主なる神は、私たちキリスト者全員に大事なメッセージを伝える為に聖テレサを選んで偉大な聖人になる恵みを与えて下さいました。そのメッセージとは聖テレサが「小さき道」と呼んだ教えです。すなわち、主の愛を信じて主に対する全き信頼を抱いて幼な子のような素直さで主に完全に身を委ねながら、ごく些細なこと、日常茶飯事のようなことを主への愛を込めて主の愛への応えとして主に捧げる、という道です。私たちは誰一人が聖テレサほどこの道を究められないとしても、信仰の歩みの為の確かな道しるべになります。主イエズスは「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国で一番偉いのだ。」(マタイ18 : 3 - 4)と言われましたが、聖テレサの「小さき道」はその言葉の意味を具体化しています。愛中心の道だから愛中心の主イエズスの教えの核心を示しています。聖テレサは偉大な業を何一つ行いませんでしたが、この「小さき道」を究めたことによって偉大な聖人になりました。偉大な業などできないキリスト者が殆どなので、聖テレサほど偉大な聖人にはなれないとしても、「小さき道」を歩んだら主イエズスに確かに近づいていきます。