【夜半ミサ】主の降誕 2020年12月24日

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 イザヤ書 9章1~3、5~6節

第2朗読 テトスへの手紙 2章11~14節

福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節

 

お話の要約

今年もコロナ禍やいろいろなことがあったけれど、クリスマスは来ました。そして、私たちがこうしてクリスマスを祝うことができることを嬉しく思っています。

この典礼は私たちに、闇の中の光についての一つの大事なテーマを語っています。「闇の中を歩む民は大いなる光を見、死の影の地に住む者の上に光が輝いた。」「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」と書いてあります。その中にはしるしも与えられ、その光はしるしを指しています。天使は告げます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」この赤ちゃんはそのしるしです。私たちに与えられたみどりご、私たちのために生まれた男の子。でも、何のしるしでしょうか。子どもがしるしになった。解放された救いのしるしです。

 

キリストの誕生は長く準備されました。さかのぼっていくと、アダムとイブの原罪のすぐ後で神様は救いの約束をしてくださった。アブラハムにも「あなたの子孫によって、すべての国民は祝福に入る」と約束され、ダビデにも「あなたの子孫に王座を継がせる」と約束されました。イザヤの預言を通しても「このみどりごが私たちに与えられる。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる」と。イエズスの誕生は、アブラハムからは2千年、ダビデからは千年、イザヤの預言からは500年位後になります。それほど長い間この誕生を待っていたのです。この誕生は救い、今の闇の中の光。今晩のように外は闇だけれど、この中は電気をつけて明るくしているということではなく、心にかかった闇、罪の結果人間は苦しみ、やがて死ぬことになっているということ。それは心の闇です。特にこの心の闇を照らすために、この子どもが生まれた。ずっと待っていた救い主。やがてこの救い主は自分の使命を果たすと、聖パウロは第2朗読で話しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。そして、この方を通して私たちに祝福に満ちた希望が与えられます。」

 

人間は誰でも希望を持っています。たぶん多くの人は今、コロナが早く収まったらいいと思っている。こうなってほしい、こうなればいいと色々な希望を持っています。楽観的とかプラス思考とか色々な表現もありますが、ここで語られる希望はもっと深いものです。人間の普通の望み、想像している希望ではなく、この希望は神様の約束によるものです。神様は確かな方、真実な方ですから、その約束も確かで真実なものです。何よりも、そういう神に対する思い。聖書で希望について話すときは、何を希望しているかというより、誰に希望を置いているかが一番中心になります。神様は救いを与えてくださる。その救いは永遠の命とかいろいろな表現がありますが、細かいところまでは示されていません。では誰が与えてくださるのでしょう。善良な神様が私たちを愛して、私たちのために用意してくださる。そのために御子キリストをこの世に遣わされたのです。神様は何よりもご自分の愛を分かってほしい。目に見えない愛はなかなか私たちにわかってもらえないので、ご自分の御ひとり子を遣わされた。神でありながら目に見える方となられたキリストを通して、ご自分の愛を伝えたいと望んでおられる。それは、ずっと私たちの時代まで続くメッセージなのです。

 

もちろん私たちも皆と同じように早くコロナ禍が収まればいいと思うけれど、信仰の目から見ればそれより深い希望があります。この世のあらゆる困難を超えて、主が私たちに準備して下さるものに向かって、私たちは信仰の歩みを続けています。そのように歩んでいる私たちにとって、キリストは本当にしるしです。希望のしるしです。キリストの誕生によって、このように希望が生まれます。愛が生まれます。