待降節第4主日 2020年12月20日

先に下記リンク先の聖書箇所を読み、黙想してから動画をご視聴いただくことをお勧めします。

 

朗読箇所のテキスト(日ごとの福音)

 

第1朗読 サムエル記下 7章1~5、8b~12、14a、16節

第2朗読 ローマの信徒への手紙 16章25~27節

福音朗読 ルカによる福音書 1章26~38節

 

お話の要約

皆さん、こんにちは。いよいよクリスマスが近づきました。今回は待降節第4主日で、その最後の主日にはいつもキリストが宿られた聖書の箇所が読まれます。特に今年この箇所は、私たちにとって特別な意味がある気がします。今年のクリスマスはコロナ禍でなかなか普通の雰囲気にならず、教会としてもいつものように盛大に祝ってパーテイーをして…ということはできない状態です。寂しい感じがするし、暗い感じもします。特にコロナ禍は3月ごろから始まって、いつ終わるか分からない…。そのような状況の中で生きている私たちにとって、今日の聖書の朗読は希望のしるし、私たちの希望の拠り所を思い起すようなものです。

キリストが来られた最初のクリスマスのことを考えると、私たちの時代よりはるかに厳しく難しく苦しみの多い時代だったと思います。その中でも神様のご計画は確かに進められていたのです。人間が想像するのとはちょっと違う感じですが…。たとえば今回の第1朗読では、主が預言者を通してダビデに約束して下さる場面が読まれます。「ダビデとその子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとし、その王座はとこしえに固く据えられる」と、ダビデ自身に対する祝福だけではなく、その子孫に対する祝福まで約束されます。ダビデ王は主のために家を建てようと思ったけれど、主はむしろダビデのために家を興すと約束されます。実際の歴史を見ると、ダビデの子孫は400年くらい王座に就いていたけれど、バビロニア帝国の破壊によって皆が捕囚になった時から、ダビデの子孫は続いても王座に就く者は一人もなかった。ナタンのような預言者が出て更に200年くらい続いたけれど、それも現れなくなった。イエズスの時代にはダビデの王座はもう600年も前のことだったし、預言者の言葉も400年くらいなかった。その間もたとえばマカバイ時代の迫害など大変な苦労の時期があった。イエズスが生まれた時代も決して楽な時代ではなく、ローマ帝国の支配下に置かれたユダヤ人は過酷な税金を課せられて苦しい生活を強いられていました。

 

その中で天使ガブリエルがマリアに現れて告げます。「あなたに子供が生まれる。神である父は彼に王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を収めその支配は終わることがない。」

それだけ全てが途絶えたかのように見えたのに、主なる神はその約束を突然思いがけない形で実現してくださった。実際に私たちはそれを見ているのですが、キリストが十字架上で亡くなって復活し天に昇って父の右の座に就かれ、永遠に王として座しておられます。人が思ったような形ではなかったけれど…。今の私たちの時代は昔ほど暗くはなく、私たちにこういうクリスマスの祝いを通して希望が与えられています。もちろんそれは信仰による希望で、人間の思いによるものではありません。この世には既にキリストが来られました。今も支配しておられます。私たちを見ておられます。共におられます。ただそれをもっと実感するために、または私たちがもっとその神秘、希望に生きるために、やはり聖母マリアの態度に倣う必要があります。

 

聖母マリアにとっては思いもよらなかったお告げだったと思いますが、いつも主のことを思って主を心から愛しておられたんです。聖母マリアは「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」と言われました。私たちはそのようなお告げを戴いていないけれど、今のような状況に置かれています。その中で「み心が私たちの身になりますように」と、そういう信頼と主に身を委ねる態度、それはまず私たちの心の拠り所にもなるし、希望になります。主に身を委ねる人は主に守られて、主の力によって辛く苦しい時にも希望を持つことができます。もちろん人間的な希望ではなく、この世を超えている信仰による希望、主ご自身がいつも一緒におられ、いつも支配しておられるキリストに希望をかける人、そのような人が持つ希望です。