「ともに祈り、ともに歩もう」

1月の教会委員会で今年の大船教会のテーマについての話がありましたが、結局「ともに祈り、ともに歩もう」を引き続いてテーマに決めました。テーマが形だけのものにならないために、目標を掲げて道しるべを示すようなものにする必要があります。それなら度々変えるものではなく、深めていくものの方が効果的です。

 

2年前に私は次のようにこのテーマを説明しました。

 

『信徒の成長に連れて司祭と信徒の関係が変わっていく必要があります。

 

第1段階では信徒は「司祭に聞き従う」姿勢です。初めとしてはいいですが、この段階に留まったらキリストと司祭がダブって見えてしまうようになって、キリストと信徒の関係は、司祭次第になってしまう恐れがあります。

 

第2段階では信徒はキリストのもとに導いてもらう為に「司祭について行く」姿勢です。信徒はキリストを目指しているようになるから、もっと成長した関係になります。大船教会の場合はかなりの信徒がこの第2段階まで成長していると私は見受けます。特に「キリスト教講座」「聖書100週間」「ヘルパー会」がその成長を助けているように見えます。

 

第3段階では、信徒は司祭と一緒に「キリストについて行く」姿勢です。信徒は自分個人の歩みだけでなく、共同体の歩みにも関心を持つようになります。そして祈ります。「主よ、あなたの道を示して下さい。私に、私たちに。」でも祈りだけでは足りないです。共同体のことだから、祈りのうちに感じたことを率直に、遠慮なく分かち合う必要があります。質問や疑問や「わからないこと」も成長する必要のあるところを指しているから、本音で話すべきです。「三人寄れば文殊の知恵」と言われますが、一緒になって主の導きを求める共同体には「聖霊の知恵」が与えられます。共同体だから、話し合いをまとめて主の導きが何であるかを判断する人が必要ですが、それは司祭の役割です。これはもっと深い意味の「共同宣教司牧」になると思います。信徒が司祭の仕事を手伝うだけではなく、司祭と一緒にキリストについて行きます。』(おとずれ」2018年2月号より)

 

大船教会に来てから私はずっと自分個人のためだけではなく、主任司祭としてどうしたらいいかと、主に導きを祈り求めてきました。聖書のみ言葉や人の声や色々な出来事を通して感じた導きに従おうとしましたが、どこまで主の声を聞き取れたか、自分でもわかりません。ただし、主が心から導きを祈り求める人を、その人の知らないうちにも導いて下さるということは確信しています。でも一人で主の声を聞き取ろうとするのは難しいから、もし第3段階に入っている信徒と一緒に主の導きを祈り求められるなら何と幸いなことでしょう。やはり私たちは今後も「ともに祈り、ともに歩もう」としている信仰共同体になるように呼ばれていると思います。