「主日なしでできません」

キリストの復活の日に基づいて、教会の始めからキリスト者は毎日曜日に集まって、感謝の祭儀を執り行ってきました。その為に日曜日は「主の日」すなわち「主日」と呼ばれるようになりました。

紀元304年にローマ帝国のディオクレチアン皇帝が日曜日に集まるキリスト者を死刑にすると宣告していました。現在のチュニジアにあったアビテネ村で49人のキリスト者が感謝の祭儀の最中、見つけられて逮捕されました。なぜ皇帝の命令に逆らったかと尋問された時、代表の者は「主日なしでできません」と答えました。そして49人とも殉教しました。それだけ主日の祭儀を大切にしていました。

 

命がけで主日の祭儀を大切にした49人の気力に感心します。やはりそこまでする人は自分の弱さを十分意識してキリストに頼り切って生きている人です。自分の力でちゃんと生きていかれると思う人はそこまでする必要は先ず感じないでしょう。他のキリスト者と一緒になって主のみ言葉と主の御体に次の週を生きていかれるだけの力を心から求める人にとって「主日なしでできません」と言うことになります。

 

先月号で触れた「集会祭儀」はこの心に基づいています。勿論、できる限りごミサを捧げて主日を大切にしたいと思います。問題はごミサができない時にどうしますか。ごミサがないからと言って何もしないと言うなら、キリストを本当に必要としていないことになるのではないでしょうか。第五地区では今のところでは幸いに「集会祭儀」の必要はありません。ただし、将来必要になる可能性が高いと思います。それなら、今から少しずつ準備しておけば急に必要になったとしてもそんなに戸惑うことなく皆さんが主日を大切にできます。

 

このことを考えて、敢えて8月に集会祭儀を計画しました。将来の準備にもなりますが、自分にとってごミサはどう言う意味を持っているかを考える機会にもなると思います。やはり人間だから繰り返している内にマンネリ化する傾向があります。自分が生きていかれる為にどれほどキリストを必要しているかを確かめる機会にもなると思います。

 

「毎日祈り隊」ニュース

 

*時間を気にしている方もいると聞きますが、主は寛大な方だから一緒に祈る心があればうっかりして時間はちょっとずれても主はその心を受け入れると思います。

 

*日本の殉教と聖人に対する祈りが覚えにくい、唱えにくいと聞きますが、もうちょっと簡単な言葉を提案して頂いたから、それも唱えてもいいと思います。

 

「日本の殉教者、聖人よ、私達の為に祈って下さい。私達の心の奥底に潜んでいる神への憧れの炎が燃え上がりますように祈って下さい。」

 

更に簡単に祈りたいと思う方は次の祈りでもいいと思います。

 

「日本の殉教者、聖人よ、私たちと全ての日本人がキリストの愛に引き寄せられるように祈ってください。」

 

*もう既に報道されたように、教皇様は秋に来日します。それに先立って教皇様は今年の10月を「宣教の為の特別な月」と定めました。それを受けて教皇様の来日の準備として、教皇様の訪問を通して日本の教会が福音宣教の為の豊かな知恵と力を頂きますように、皆さんに祈って頂ければと思います。