「私たちの心は皆、あなた様の心と同じでございます。」

今年も大船教会のテーマを「ともに祈り、ともに歩もう」にしています。でもやはり私たちはただ小教区として信仰の道を歩んでいるのではなく、むしろ日本の教会全体の中で歩んでいます。その為にも先月のおとずれに二十六聖人について書きました。ところで、ご存知のようにクリスチャン時代の日本の教会の信仰の歩みは迫害で終わった訳ではありません。3月に迎える「日本の信徒発見の聖母」の祝いはその事実を思い起こします。当事者のプティジャン神父様はその場面について宣教団長に報告しました。

 

「四十歳か五十歳ほどの一人の婦人が私のそばに来ると、胸に手を当てて申しました。『ここにおります私たちの心は皆、あなた様の心と同じでございます』と。『本当ですか』と私は答えました。『あなたがたはどちらの方ですか』。『私たちは皆、浦上の者でございます。浦上ではほとんど皆、私たちと同じ心を持っております』。そしてすぐにその同じ人が私に『サンタ・マリアの御像はどこ』と尋ねました。『サンタ・マリア』、このめでたいみ名を耳にして、私にはもう疑う余地がありません。私の目の前にいるのは、紛れなく日本の昔のキリスト信者の子孫です。私はこの慰めを神に感謝いたします。

 

私は、この愛しい人々に取り囲まれ、促されて、彼らを聖母の祭壇へ、あなたがフランスからお持ちくださったあの御像が安置してある祭壇へと案内しました。彼らは皆、私に倣ってひざまずき、祈りを唱えようとしていましが、溢れる喜びに耐えられず、聖母の御像を仰ぎながら、口を揃えて、『本当にサンタ・マリア様だ。見てご覧。御腕に御子ゼスス様を抱いていらっしゃる』と感嘆の声を挙げました。そして、すぐにその中の一人が申しました。『私たちは、霜月の二十五日に、御主ゼスス様のご誕生のお祝いを致します。御主は、この日の真夜中ごろに家畜小屋の中でお生まれになり、貧しさと忍耐のうちに成長され、御年三十三歳の時、私たちの魂の救いの為に十字架にかかってお亡くなりになりました、と聞いております。今は悲しみの季節(悲しみ節)です。あなた様方にもこのような祝祭日がおありでしょうか』と尋ねるので、『そうです。今日は悲しみ節の第十七日に当たります』と答えました。私は、この『悲しみ節』という言葉をもって、四旬節のことを言いたいのだとわかりました。」

 

「彼らが何を保ってきたのか、少しずつ確かめることに致しましょう。彼らは十字架を崇め、聖なる乙女マリアを大切にし、祈りを唱えています。しかし、それがどのようなお祈りなのか、私にはわかりません。その他の詳しいことは、近日中にお知らせ申し上げます。」 (1865年3月18日 長崎にて) 

 

私たちも間も無く「悲しみ節」に入ります。七世代にわたって信仰を守り抜いた偉大な信仰の先輩の模範に励まされて、私たちは今年こそキリストを中心にしてともに祈り、ともに歩めればと私は日本の殉教者と聖人の取次を願っています。