「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」

クリスマスおめでとうございます!

 

教会は大きな喜びをもってキリストの誕生を記念して祝っています。いつもより主なる神を賛美してその言い尽くせない愛を感謝して歌っています。これは驚嘆すべき交歓です。神であるキリストが人間となって、私たち人間に神の命を分け与えました。だから教会は喜び祝っています。

 

喜んでいるキリスト者もいるし、喜びたいキリスト者もいますが、聖パウロによるとキリスト者は喜ぶべきです。喜ぶことはキリスト者の務めの一つです。

 

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4:4)

 

「喜びなさい」は命令形ですが、人間は自分の意志で愛情とか喜びとかを起こさせるにはかなり無理があります。それならキリスト者はどうやってこの務めを果たしますか。

 

心理学は大事なヒントを与えてくれます。私たちの感情の多くは私たちの思いや出来事の受け止め方に左右されます。例えば自分が駅のホームで電車を待っているとしましょう。向かい側のホームに友達を見かけて遠くから挨拶しますが、友達は何の反応はありません。もし、「無視された。先日のあのことでまだ怒っているかも」と思ったらちょっと辛い思いをして苛立ちます。でももし「ああ、気が付かなかっただろう」と思ったら気にしないでしょう。事実は全く同じですが、受け止め方によって感情が全然違います。

 

喜びという感情は望みが叶えられた時に起こるものです。そして人間には記憶力と予想力があるから、以前叶えられた望みに対しても将来叶えられると予想する望みに対しても喜びます。例えば致命的な病気をした人が回復したら、その回復をずっと心に留めているならずっと喜んでいます。またはディスニーが大好きな子供は、もし親が「来週ディスニーランドに連れていく」と言ったら行く前にもう喜んでいます。

キリスト者の喜びは例外ではありません。教会のカテキズムは説明します。

 

「神への憧れは人間の心に刻まれています。人間は神によって、神に向けて造られているからです。神は絶えず人間をご自分に引き寄せておられます。人間はただ神のうちにだけ、求めてやまない真理と幸福を見出します」(27番)

 

自分の心にその神への憧れに気づいている人は、キリストにおいて神が人間となって近くになられたことを自然に喜びます。そしてキリストが人間となったのは、私たちが永遠に神と一緒に生きるようにする為だとわかった人はそうなる前から喜んでいます。

 

神様のようなクリスマスプレセントを与えられるのは他にありません。