「力ある方が私に偉大なことをなさいました」

聖母マリアの偉大さを正しく理解する必要があります。聖母マリアは女神でも何でもないのです。キリストはまことの人間ですが、まことの人間だけではなく、まことの神でもおられます。でも聖母マリアは私たちと同じように完全に人間で、しかもキリストの恵みによって救われた方です。聖パウロがキリスト者全員について書いた言葉は、ある意味で特別に聖母マリアに当てはまります。

「事実、あなた方は恵みにより、信仰によって救われました。このことは自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがない為なのです。なぜなら、私たちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備して下さった善い業の為に、キリスト・イエスにおいて造られたからです。私たちは、その善い業を行なって歩むのです」エフェソ2 : 8-10。

 

聖母マリアは存在の最初の瞬間から「恵みによる救い」を頂きました。御宿りの瞬間に、キリストの恵みによって、遺伝病のように伝わる「原罪」から救われました。この救いに先立った行いが何もなく、全く神の賜物でした。結局、聖母マリアは、エバの罪を犯す前のような状態で宿りました。エバは最初の誘惑に陥って罪を犯してしまいましたが、聖母マリアは罪びとの社会に育って沢山の誘惑を受けながら、罪を犯しませんでした。だからお告げの時に天使が「恵みに満ちた方」と挨拶しました。

 

主なる神は全てを創造された時、それを良しとされましたが、人間を造られた時、「極めて良かった」としたのです。被造物の中で人間は主なる神の傑作です。そうだとするなら、聖母マリアは主なる神の「傑作中の傑作」です。主なる神は聖母マリアにおいてご自分の恵みのみ業を喜ばれて、ようやく心からご自分の愛に応えてくれる人がいることを喜ばれました。聖母マリアもこのことを認めて歌いました。

 

「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜び称えます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めて下さったからです。今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう、力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから」ルカ1 : 47-49。

 

聖母マリアは確かに偉大な方です。でもその偉大さは主なる神の恵みのみ業による偉大さです。そしてその偉大さは私たちの為です。聖母マリアは恵みに満ちた方だったからこそ、救い主イエスキリストはこの世に来られました。それに私たちは聖母マリアの力強い祈りに助けられています。主なる神は、被造物の中で一番喜ばれる聖母マリアの願いをいつも叶えて下さいます。聖母マリアは主なる神と全く一致しているから、必ずみ心に適うことを願っています。