「心を清めて主に近づいて」

四旬節は、復活徹夜祭で洗礼を受ける入信志願者の最終準備の為に古代教会が設けた期間です。既に洗礼を受けているキリスト者は、入信志願者と心を合わせて彼らを支える為に、または自分の洗礼を思い出して自分の信仰を新たにする為に、同じような準備をします。

四旬節の歩みは心を清めて主に近づく歩みで、特に祈りと断食と施しを行う歩みです(マタイ6章1-18を参照)。祈りには様々な形があるし、断食は様々な犠牲や苦行を含めているし、施しは様々な善業を含めているから、この三つには幅広い意味があります。この三つを行う究極の目的は、聖なる望みである神への憧れを、それを隠して抑えている欲から解放して、人が喜んで神を求めて歩んでいく為です。聖アウグスチヌスが説明しているように、

 

「真面目なキリスト者の生活全体は、聖なる望みです。あなたが望んでいるものはまだ見えていません。しかし、望むことによってあなたの心が広くなり、あなたに見える為に神が来られる時、あなたは神に満たされうる者となるのです。」

 

または、

 

「望みながら鍛えられるのが人生です。私たちの望みを世俗への愛着から切り離せば切り離す程、聖なる望みが私たちを鍛えるのです。」 (ヨハネの第一の手紙講座より)

 

 心を清める為に赦しの秘跡(告解)は大きな恵みです。赦しの秘跡について最低限のことは決まっていますが ―すなわち大罪を犯したら聖体拝領をする前に必ず赦しの秘跡を受けること、または大罪がなくても少なくても年に一回赦しの秘跡を受けること― でも赦しの秘跡を大切にしなければ本格的な信仰の歩みができません。信仰の歩みの原動力は聖なる望みですが、「塵も積もれば山となる」と言われているように、小罪もたまったら聖なる望みを弱める障害になります。赦しの秘跡の恵みをもっと受けるには何よりも心の準備が必要です。告解する何日間前から「主よ、今告白すべき罪、今特にあなたに近づくことを妨げている罪を教えてください」と祈って自分の思い、言葉、行い、怠りを振り返ります。そして主の恵みを頼りにして自分の生き方をこう変えると心に決めます。そうすることによって赦しの秘跡の恵みをもっと豊かに頂いて歩み続ける力が湧いてきます。私は特に四旬節の間にこの恵みを受ける機会を増やしたいと思うので、3月3日から4月7日の金曜日のごミサか十字架の道行きの後で、またその翌日の土曜日の16:30のごミサの後で赦しの秘跡を授ける為にしばらく御堂に残ります。

 

主に近づく為に主を求めて聖なる望みを燃え上がらせることが大切です。主の求め方には色々ありますが、聖書を読むことは特に効果的な求め方です。私たちが聖霊のうちに聖書を読んだら、主は私たちの心に語りかけてご自分の方に引きつけます。長年の教育を通して私たちは知識を得る為に本を読むことに慣れていますが、聖霊のうちに心で聖書のみ言葉を受け入れようと読むなら、信仰が養われて聖なる望みが強まります。一人でも多くの方々の信仰が聖書に養われて彼らが主に近づくことができるように、私は3月26日(日)の「祈りの日」の時、レクチオ・デヴィナという聖書深読法を紹介します。そして参加者がその流れに沿って祈れるように今回の「祈りの日」は計画されています。